日本の国益を考える
無料メルマガ「アメリカ通信」


S・ウォルト著「米国世界政治の核心」

▼ウォルトの経歴と本書の位置づけ

本書はアメリカで二〇〇五年に刊行されたスティーヴン・ウォルト(Stephen M.Walt)ハーヴァード大学教授による"Taming American Power:The Global Response to U.S. Primaxy"の日本語版である。ウォルトは国際関係論の理論家としてすでに欧米では非常に高い評価を受けており、多くの論文を発表しているが、最近発売されたシカゴ大学教授のジョン・ミアシャイマー(John J.Mearsheimer)との共著 "the Israel Lobby and U.S.Foreign Policy"(邦訳『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』二〇〇七年、講談社刊)を除けば日本ではあまりなじみがなく、単著の本格的な邦訳はこれが本邦初となるため、ここで簡単に彼の経歴と理論などについて多少なりとも解説しておく必要があるだろう。

スティーヴン・マーチン・ウォルトは一九五五年生まれで、スタンフォード大学修了ののちカリフオルニア大学のバークレー校で博士号を取得する。この大学院時代に二〇世紀で最も重要な国際関係論の理論家と言われるネオリアリズムの重鎮ケネス・ウォルツ(Kenneth N.Waltz)から論文の指導を受けており、このウォルツの三大弟子の一人として名高いのがこのウォルトである。その後、プリンストン大学で准教授、シカゴ大学ではのちに『イスラエル・ロビー』の共著者ミアシャイマーと仕事仲間となって教授へと昇進。一九九九年にはハーヴアード大学に移り、二〇〇二年から四年間、ケネディ行政学院の学部長を務め、二〇〇二年からアメリカの対外政策の「奥の院」ともウワサされる外交問題評議会(CFR)のメンバーとなった。また二〇〇五年からは全米科学アカデミーの一員に選出されている。このような経歴からわかるように、ウォルトは国際政治学者としては超一流のトップクラスの実績を持っている。

リアリストの学者の中でも、ウオルトは「ネオリアリスト」(Neorealist)の重要人物の一人であるが、何よりもウオルトの名を知らしめることになったのは、『同盟の起源』(The Origins of Alliances 未訳、一九八七年)で提唱した「脅威均衡理論」である。この処女作は、その高い内容と斬新な視点が認められ、一九九八年度のファーニス安全保障関連書賞の最優秀賞を受賞している。

しかし単なる理論家の学者とは異なり、ウォルトはかなり以前から現代アメリカの対外政策について自分の理論を政策に活かすべく積極的な発言を行っている。冷戦終結時には「アメリカは永続的な封じ込め政策を行わなければならない」と主張し、イラク侵攻が始まる直前にもミアシャイマーとともに戦争開始に反対し、ネオコン派の知識人とも大激論を行っている。

一方では、一流の編集者/執筆者としての評価も高い。数多くの専門誌に「安全保障学」「戦略学」「国際関係論」などの分野の学派の解説論文を寄せ(これらの論文は欧米の大学の国際政治学の授業では必読文献)、他にも現代アメリカのリアリスト学派の安全保障関連書の最高峰と言われるコーネル大学のシリーズ(Cornell Studies in Security Affairs)の編集者をはじめ、「インターナショナル・セキュリティ」(International Security)誌などの安全保障関連の有名専門誌の編集顧問としても名を連ねている。

さて、ウォルトがリアリストということは本書にとって重要な意味を持っている。リアリストというのは、えてして「国益が大事だ、国益を増進せよ」と主張する場合が多く、ある意味でタカ派。右翼的・保守派と見られがちで、一見するとイラク侵攻を扇動したネオコン派と似たような印象もある。もちろんウォルト自身も「国益主義者」であることを明言しており、そういった意味から保守派と見なすこともできるのかもしれないが、本書の最大の特徴は、彼が「政治科学者」という立場から「アメリヵは自重せよ」と一貫して主張している点である。つまりウォルトはネオコンのような過激な右派のアメリカの世界支配を進めるような主張とは一線を画し、日本ではあまり見られない「右派からの自重論」を提唱しているのだ。これは「保守派=タカ派」というイメージを持つ我々の前提を根本からくつがえすような、日本ではなかなか理解されにくい欧米の政治の「ねじれ」であろう。

また、本書のもう一つの目玉は、リアリストの理論以外にも、小国の戦略論など他学派の論理も大いに取り上げ、縦横無尽に現代アメリカに対する世界の反応や数々の「戦略」(strategy)を紹介していることだ。このことからもわかるように、本書を書いたウォルトの狙いは「アメリカのサヴァイヴァルを実現するためにどうしたら良いのか」という部分に集約されてくるのであり、かと言ってその分析はリアリスト的なものだけにはこだわらない、かなり異色な国益論であると言えよう。

これは世界中でも大論争を巻き起こし、日本でも話題となっている『イスラエル・ロビー』の出版の動機とも関連してくるのだが、私が著者に直接聞いたところによると、本書を書くきっかけは「外国勢力がアメリカの対外政策を誤らせるような過大な影響力を持ってはならない」ということにあるのだ。これは両著がもともとは同じ問題意識から出発したということになるが、ウォルトによれば『イスラエル・ロビー』は本書の続編という位置づけになるのではなく、本書はあくまでも原著の副題から想像できるように「アメリカの優位をどう活かすのか」という、もう少し広範囲な問題をとり扱う意識で書かれたという。

本書はそのわかりやすさとアイデイアの斬新さが認められ、学術的にも高い評価を受けている。ァメリカの二〇〇六年度の二つの学芸賞(アーサー・ロス賞とライオネル・グルバー賞)の最終選考に残ったのをはじめ、本書発売と同時にその要約がCFR発行の「フオーリン・アフエアーズ」誌にも掲載されている。また、本書のもとになった論文も米海軍大学の機関紙「ナーヴァル・ウオー・カレツジ・レビュー」の最優秀論文賞を受賞している。

▼ウォルトの「脅威均衡論」

ウォルトの「脅威均衡論」は「リアリスト」(Realist 現実主義者)の学派でも重要な位置を占めているのだが、ここではこの理論の内容について、ごく簡単に説明してみたい。

それまでリアリストたちの間で一般的だった「勢力均衡理論」では、ある巨大なパワーを持つ国家が登場すると、周辺の国家はその「パワー」を抑えるために同盟を結成するという予測をしていたが、現実を細かく見てみるとそういう動きが実際に発生していると断言できることは少く、この理論では説明のつかない事態も多かった。八〇年代に博士論文を書いていたウォルトは中東政治の具体例を研究していた時にこの事実に気づき、勢力均衡理論に修正を加え、ここでのヒントは「パワー」にあるのではなく「脅威」(theeat)にあると主張したのだ。これはつまり、国家は(特に物質面の)「パワー」ではなく、相手国がおよぼしてくる(非物質面の)「脅威」の度合いに対してバランシングを行うという考え方である。この論文を本として出版したのが、デビュー作となった『同盟の起源』である。

ウォルトはこの「脅威」の度合いを上下させる要因が四つあると言っている。一つ目が相手国の「パワー」(power)である。パワーには人口や国土の広さ、経済力などが含まれるが、ある一定の「パワー」のレベルを超えると、脅威を感じた側の国は圧倒的な力の差を認め、あえて強力な国にバランシングをしたいとは思わなくなるのである。

二つ目の要因は、相手国の「近さ」(proximity)にある。これは人間関係でも一緒で、いくら隣の国のパワーが増大しても、地理的な距離があればそれほど脅威は感じないものである。逆に距離が近ければ「軍事侵攻される!」という恐怖を他国に発生させ、それほどのパワーを持っていなくても、他国はその脅威を必要以上に感じやすくなるのである。

三つ目の要因として相手国の持つ「攻撃力」(offensive capabilities)がある。これはソフト・ハード両面からの攻撃力ということで、ハード面で言えばミサイルなどの攻撃兵器、ソフト面で言えばイデオロギーや社会制度などが対外攻撃につながりやすいものとして挙げられる。周辺国はこの二つの攻撃力に対しバランシングしようとする気が起きやすいのだ。つまり、軍事バランスが攻撃兵器や制度などに有利に傾いていると戦争は起こりやすく、逆に防御兵器や制度などに有利に傾いていると戦争が起こりにくくなるということである。

四つ目の要因は、相手国の「攻撃する意図」(offensive intention)である。攻撃する側が「やってやるぞ」という意図がミエミエの場合には、それに対するバランシングが行われやすくなるのである。

この四つの要因の中で特筆すべきなのは、ウォルトが「近さ」、つまり「地理的」な要素を指摘していることである。モーゲンソーが一九四八年に出版した名著『国際政治』(Politics among Nations)で「国力を考慮する際に地理は重要」としたにもかかわらず、その後の欧米の学界の議論の流れは「地理」という自然界の法則よりも、当然ながら「社会」という人間界の法則ばかりが注目され、「国際政治を分析する際に地理は重要ではない」という風潮ができてしまったのだ。ところが八〇年代の第二次冷戦時代に入り、ソ連側のヨーロッパ侵攻を恐れた西側の戦略研究家たちが「なぜ突発的に大戦争が起こるのか」ということを第一次世界大戦の開始になぞらえて真剣に研究し始めると、「やっばり地理は重要」という認識が起こり、それに触発されて出てきたのがこのウォルトの「脅威の均衡論」だったのだ。つまり社会科学の「社会構造」(=人間)の面の分析ばかりしていたリアリズムの研究に、非常に単純化した形ではあるが、ウォルトが「地理」という「自然条件」を復活させたことになる。これは、ニコラス・スパクマン(Nicholas J.Spykman:英語読みではスパークマン)以来途絶えていた、アメリカのリアリズム研究に、ミアシャイマー同様、ウォルトが地政学の伝統を復活させたということになる。

この四つの要因を現在の状況に当てはめて考えると、なぜこれほど圧倒的なアメリカに対して他国からのバランシングが発生しないのかもうまく説明できる。それはアメリカが世界の国々に対し直接的な脅威を感じさせていないからだ。

▼日本にとって「オフショア・バランシング」の意義は?

では、ウオルトが本書の中で暗示していることに加えて、「第五章」で提案している「オフショア・バランシング」という戦略は、日本にとってどのような意義があるのだろうか?それは安全保障の関連から、(1)アメリカの優位の翳り、(2)米軍のトランスフォーメーション、(3)日本ヘのバックパッシング、(4)中国の台頭の四点に集約されてくる。

第一に、本書が発売された数年前の状況と決定的に違っているのは、圧倒的なアメリカの優位が格段に落ちてきているという点だ。度重なる海外侵攻や原油高、国内経済の不振などで、近年のアメリカ経済の好況にはいよいよ本格的に翳りが見え始めている。このため、アメリカの軍事面での世界からの後退が避けられない状況になってきていると言える。ここで確実に予測できることは、アメリカの「自発的な撤退」という流れもあり得るということだ。それでも完全な撤退を意味するのではなく、意外にもウォルトが言うような「オフショア・バランシング」に近い形になるのではないだろうか。この予測を信憑性の高いものにしている原因の一つが、米軍の「軍事改革」(Revolution in Military Affairs:RMA)を背景とする、一連の「米軍のトランスフォーメーション」の動きである。

第二は、第一次湾岸戦争(一九九〇〜九一年)でアメリカの情報通信を中心としたトランスフォーメーションが大成功を収めたことから、二〇〇〇年に入ってもブッシュ(息子)政権の初代国防長官であったドナルド・ラムズフェルド(Donald Rumsfeld)により空軍を中心に強力に推し進められた点である。これは軍隊全体の柔軟性と迅速性を実現させるため軍備の軽量化を行い、海外の基地での米軍のプレゼンスを最小限に減らすことが狙われている。ドイツや日本の米軍基地の規模を必要最小限まで縮小し、海外からは「米軍が我々の土地を不当に占拠している侵略軍!」という悪いイメージも改善できる一石二鳥のメリットもある。このトランスフォーメーションは地上軍、つまり軍事的なプレゼンスを海外の人々に感じさせやすい「陸軍」の規模は大幅に削減している。その代わり、プレゼンスをあまり感じさせない「空軍」や「海軍」の縮小はそれほどなく、そういった意味から米軍全体のトランスフォーメーションの動きとオフショア・バランシングという戦略は、極めて整合性のあるものと言える。ソ連という強敵が消滅した今、アメリカはソフト面から「半撤退」のオフショア・バランシングという試みを、そしてハード面からは米軍のトランスフォーメーションによる軍の軽量化が、偶然にも中東での介入の失敗もあり、同じ方向を目指し始めたように見える。

第三に、アメリカがもしこのような「オフショア・バランシング」を本気で実行していけば、その延長線上に見えてくるのは「バックパッシング」もしくは「バーデン・シフテイング」(burden-shifting)と呼ばれるような、責任転嫁的な戦略へのシフトである。ということは、日本はアメリカが東アジアで背負っていた荷物を、今まで以上に肩代わりさせられる破目に陥ることも見えてくるのだ。このような兆候はかなり以前から水面下に存在していたことは事実だが、近年になってアメリカがミサイル防衛システム(これは主に在日米軍施設を守るためのもので、日本を守るためのものではない)を日本に売り込み、イージス艦を売却し、F-22のような最新鋭の戦闘機の売却交渉をしているなど目立った形であらわれている。さらに、アメリカは韓国にも有事の際の指揮権を二〇一二年までに譲渡するという決定を下している。日本からの完全撤退は、駐留費の七割以上を負担している日本の経済状況にもよるが、地政学的な重要性から見ると、韓国ほどの大きな変化は起こらないはずだ。在日米軍基地関連の問題解決はまだまだ先の話になるだろうが、ここでの問題の核心は、オフショア・バランシングから日本が米軍の関わる戦争に巻き込まれる確率が冷戦時代よりもさらに高まる可能性がある、というところにある。

第四は「中国の台頭」である。中国とはガス田開発や尖閣諸島の領土問題など多々残されているが、当面の一番の問題は台湾危機をおいて他にはない。というのも、この台湾問題が中東への貿易・石油ルートであるシーレーンの安全確保のみならず、日米安保による「日米同盟」の存在意義そのものに直結してくるからである。アメリカが「オフショア・バランシング」の戦略をとれば、まず地域の国々(日本・インド・韓国など)に勃興する大国(中国)を処理させ、それができなくなった場合にようやくアメリカが外から助けにくるという図式が見えてくる。もちろん現在の状態では日本が率先して台湾を助けに行くということはありえない。一九九六年の台湾海峡危機のように、まずはアメリカが現場に直行するかもしれないが、「オフショア・バランシング」が本格的に実行されるような状況が見えてきた現在では、台湾危機が起これば日本はアメリカに「バックパッシング」されてしまい、最悪の場合は日本が中国と直接戦う破目に陥るかもしれないのだ。そういう意味では、日本はアメリカの戦闘に巻き込まれないように、しかも中国の問題にはあまり深入りしないような、賢明な「オフショア・バランシング戦略」を実行することが求められているのだ。

また、本書は中国が戦時に使う戦略だけでなく、平時に日本やアメリカに対し使っている戦略についても多くの示唆を与えてくれている。中国がアメリカの人権侵害状況をあらわすレポートを提出していることは本書でも触れられているが、何もこれはアメリカだけに対するものではない。日本の国際貢献の「正統性」の怪しさを喧伝するために「歴史問題」が持ち出されることなどは、中国側による「ソフト・バランシング」、もしくは「非正統化」の戦略として見ることができる。逆に日本が中国国内の人権や環境問題の被害のひどさを世界に向かって喧伝することになれば、日本から中国に向けての立派な「非正統化」の戦略の使用になるのである。

また、アメリカのような公式なロビー活動ではないにせよ、日本もアメリカ、中国、南北朝鮮、台湾、インド、ロシアなどの周辺国から様々な形を借りて圧力がかかっていることは簡単に類推できる。日本政府も本書が示している例のように、外からは軍事以外の方法で反抗されたり、逆に抱きつかれたりして、そのパワーを操作されているのだ。また、これはアメリカと日本だけの問題ではなく、おそらく世界の全ての国家が多かれ少なかれこのようなジレンマに直面していることも教えてくれる。

以上のように、本書におけるウォルトの戦略のアイディアの数々は、現代の日本を取り巻く国際政治の環境を考える上で、驚くほど多くの示唆を与えてくれるものである。