▼ついに決着がつく
前稿では全員が最終弁論を終えたところまで説明した。このあと討論会では間髪を入れずに、会場の観客たちによる投票へとなだれ込んだ。例のごとくゲルプ会長が場を仕切ることになり、「はい、それではイラク封じ込めに賛成(リアリストの立場に賛成)の人、立ってください」「では今こそイラク戦争に突入せよという(ネオコンの立場に賛成の)かた、立って下さい」とやり始めたのである。
ちなみにゲルプ会長は、こういう時でも政治的なジョークを忘れない。「立って下さい」といいながらも、「面倒くさいひとは別に(投票に)参加しなくてもいいですからね、私たちの同盟国のように」とか、「この投票は科学的な手順にしたがって行われているわけではありませんよ、この間の(ブッシュがゴアにマイアミ州で勝った2000年度の)大統領選挙みたいに」などと、けっこうな毒の効いたジョークをかましている。観客も笑っている。
この投票の集計だが、それほど観客の人数が多くなかったので意外と早く終わった。この様子を写しているビデオやトランスクリプト (速記録)からは、正確な数は確認できないのだが、ほぼリアリストの勝ちであることは間違いない。圧勝とはいえないのだが、観客が座っていた三つのセクションの集計のうち、最後のセクションで26対11と、リアリストに有利な結果が出たのだ。この討論会でのリアリストたちの勝利が決定したのである。
ちなみにゲルプ会長はネオコンの意見に賛成だったようで、自身もネオコンのほうへ投票するために、わざわざ司会席から立ち上がっていた。敵であるリアリストたちの勝利を確認したゲルプ会長は、「しょうがないな」という顔をして最後に一言、「この勝負の引き分けを宣言します」と勝手に言い放ち、会場の笑いを誘ってこの討論会の「お開き」にしたのである。
▼対外政策決定のナゾ―――なぜイラク侵攻が決定されたのか?
ところが討論会で理論的に勝利を収めたリアリストたちの反対にもかかわらず、アメリカはイラクへの侵攻を開始した。戦争が始まったのが2003年の3月19日なので、この討論会が行われてからちょうど一ヵ月半後の出来事である。
あえてこれを言いかえれば、「ネオコンたちの政策が採用された」ということになる。まるで前回行われたNATOの東方への拡大を論じた討論会のときの状況と同じであり、議論で勝ったほう(リアリスト)の政策は採用されず、議論で負けたほう(ネオコン)の政策が採用されたのである。
これはまさに今回の討論会でネオコンのビル・クリストルが予言していたことが的中したといってよい。彼は討論会の後半のほうで、「結局採用されるのは僕たちの(イラク侵攻)政策ですよ」と不気味なことを言っていたのだが、この結果は一ヵ月半後にみごとに証明されてしまったのである。
ではなぜこういうことが起きるのか。議論をしてもそれは無意味なのだろうか?アメリカの対外政策はどのような基準で決定されるのか?
一般的に言って、対外政策の決定というのはさまざまな要因が絡んでくるものである。欧米ではこういうことがアカデミックなテーマとしてきちんと検証されており、モデルや変数(プレイヤー)などを決めて、体系的に議論されている。参考までに国家の対外政策を決定する最のプロセスのモデルを以下に並べてみると、
① 合理的モデル(rational model)
② 組織的モデル(organizational process model)
③ 官僚モデル(government bargaining / bureaucratic politics model)
という三つのものがある。なんだか堅苦しい学問の専門用語のようだが、①は「どの行政府も、常に合理的な対外政策決定をしている」という見方であり、②は「慣習にしたがって自動的に決定されているのだ」という見方、そして三つ目が「官僚が勝手にやっているんだよ」というモデルのこと言っているだけだ。
このほかに政府内での大統領のような「個人の心理状態」や、今のブッシュ政権内のネオコンたちのような「グループの心理」、そして緊急事態などが発生したときの状況が政府執行部に与える「危機」という特殊な状態による心理・精神分析から説明しようとするやり方も有効であるといわれており、ほかにも政府の外から政策の決定に影響を与える要素として、
①「(外交)官僚」Bureaucracies
②「利益集団」Interest Groups
③「軍産複合体」the Military-Industrial Complex
④「世論(民意)」Public Opinion
⑤「政府統治のタイプ」Government types
などが挙げられている。このように見ると、対外政策におけるわれわれ民衆の声というものが、その政策決定において多数の要素のうちの一つであることがよくわかる。とくに民衆の声というのは、対外政策においては「国内政治よりは影響力が少ない」という事実だけは状況証拠としてハッキリしている、というだけのことなのだ。
これから考えるとなぜブッシュ大統領がイラク侵攻に踏み切ったのか、そしてなぜ小泉首相が自衛隊イラク派遣に踏み切ったのか、民衆の意見などを無視して決定された理由がよくわかるはずだ。対外政策というのはある意味でかなり専門化された分野であり、しかもそれに絡んでくるプレイヤーや要素があまりにも多いからである。
学問的には、やはり最終的に決定を下す個人(大統領や首相など)の要素が一番重要だとされている。もちろんユダヤ人による陰の政府やイルミナティ、それに「300人委員会」やフリーメーソンが動かしているのだ!というような陰謀論は論外である。
このような意味から考えると、ミアシャイマーのような学者の意見がそのまま対外政策に反映されることは少ないということがよくわかる。今回紹介した討論会も、CFRという、いわば利益集団と外交官僚の間のような強力な組織によって開催され、ここでの議論はほぼ公式のものであったにも関わらず、ブッシュ政権の政策決定にはまったく影響しなかったのである。
▼復讐を誓うリアリストたち
ところがミアシャイマーなどのような強烈な個性を持つリアリストの学者たちが「ハイ、そうですか」とこのまま大人しく引き下がっているワケがない。しかも彼らの猛烈な反対にも関わらず、ブッシュ政権はこの討論会のすぐあとにイラク攻撃を無謀にも始めてしまった。これに怒ったリアリストたちは団結すること決意し、独自の政治団体を作り上げたのである。実質上は「反ネオコン同盟」であると言っていい。
日本でもこの動きはほんの「鼻クソ」程度の扱いで2003年の10月半ばごろに少しだけ報じられたのだが、私は個人的にはこの動きはもっともっと大きく報道されるべきだと考えている。彼らリアリストの理論家たちが結束してネオコンに立ち向かっているという重要性は、まさにベトナムの再現とも言えるわけで、これはいくら強調してもまだ足りないくらいである。
ちなみにこのアメリカのイラク攻撃に関して、リアリストの学者たちは今回の軍事行動を公式見解としてどう見ていたのかというのはとても興味深い。次の稿でも紹介するが、クリストファー・レインという有名なリアリストの学者は、ある保守系の雑誌の中でこう述べている。
「ブッシュ政権がイラクに侵攻した本当の理由は、アメリカの世界覇権(global hegemony)を固めると共に、イラクに軍事拠点を置くことで中東支配を広げることである。中東の石油の蛇口を確保することによって西ヨーロッパ諸国や中国などに対して相対的な力を上げ、将来の不透明で政治的にも不安なサウジアラビアへの依存を少なくし、軍事力の脅威を使ってイランとシリアの政権交代をするつもりなのだ」
と発言しているのである。これが立派な学者の見解なのである。
このような見解を共通として持つ彼らが、他のヨーロッパ協調派や、本サイトでもおなじみのYS氏が提唱する「ビジネス・リアリスト」(Business Realist)たち、それに「ほっといてくれ主義者」のリバータリアンたちや、保守系のシンクタンクの研究員、そしてマスコミ関係の人間を巻き込んで立ち上げたのが、「現実的な外交政策のための同盟」(Coalition for a Realistic Foreign Policy)という政治団体である。日本では民主党の幹部が立ちあげたという側面ばかり強調されて報じられたが、実はまったくその本質的なところが伝わってきていなことが悔やまれるばかりである。
彼らに全員には、大きくいえば二つの共通した危機感がある。ひとつ目は「アメリカは世界帝国になって傲慢になってはいけない!」ということ、そしてもう一つは「イラクはベトナムの二の舞になってしまう!」という危機感なのだ。
このような危機感を抱きつつ、「リアリストたちの反乱」が、ついに本格的にはじまったのである。