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「リアリストたちの反乱」(その三)

▼ CFRの大討論会―――「ネオコン」対「リアリスト」

時は2003年2月5日、場所は首都ワシントンDC。CFR(外交評議会)の主催で「ネオコン」と「リアリスト」の直接対決による、歴史に残る大討論会が行われた。

このときの参加メンバーは、ネオコンとリアリストの各派から精鋭がそれぞれ二人ずつの計四人。これに仲介役を務める司会者が加わって、メディア関係者や学者たちの前で公開ディベートがおこなわれたのである。これはテレビに収録された上にインターネットでも実況生中継され、しかもアクセスさえすれば、今でもこの様子はネットのビデオで見ることができる。

メンバーも豪華で申し分ない。「ネオコン」からは、すでに前号で紹介した在野の頭領、ビル・クリストル(William Kristol)に加え、若手で最近注目されているマックス・ブート(Max Boot)が援軍に駆けつけた。

彼らの経歴等の詳細を語り始めればキリがないほど面白いのだが、紙面の都合でここには書き切れない。とりあえずは二人がネオコン誌のウィークリー・スタンダード(the Weekly Standard)誌の編集に関わっている、ということだけ述べておこう。もっとくわしく知りたい方は、インターネットなどを使ってご自分で調べてみていただきたい。

一方、彼らに対抗するのは、「リアリスト」の二人の学者である。しかもそこらの平凡な学者ではなくて、リアリストの総本山であるシカゴ大学系の大物学者たちである。ひとりは超名物教授であるジョン・ミアシャイマー(John J. Mearsheimer)、そしてもうひとりはハーバード大学ケネディ政治学院のスティーヴン・ウォルト(Stephen M. Walt)である。

とくにこのミアシャイマー氏はすごい。何がすごいのかというと、彼は「リアリズム」のなかでも、特に過激な「オフェンシヴ・リアリズム」(Offensive Realism=攻撃的現実主義)という理論を一人で立ち上げた、強烈な個性を持つ学者だからである。

▼ミアシャイマー氏の「攻撃的」なリアリズム

この「オフェンシヴ・リアリズム」という理論を一言でいえば、「すべての国家(特に大国)は、生き残りの目的のために世界制覇を目指す」というブッ飛んだ仮説を持っているのである。

なんでこういうことを考えるのかというと、ミアシャイマー氏の見るところ、すべての国家には、本能として「生き残る」(survival)ということが備わっているからである。ようする国家というのは人間と同じで、何かを成す前に死んでしまっては元も子もない。まず自国の「安全第一」なわけである。

よって、全世界の国々には、一部の小国の例外を除いて、自国の安全を守るために、何かしらの攻撃力のある軍事力(「人に優しい」武器・兵器などない!)を必ず持っている。日本の自衛隊も例外ではないのは、おわかりいただけるはずだ。

なぜ攻撃的な軍事力を持つのかというと、この地球には世界政府のような最高権威がいないからである。地球という「村」には、「国家」という一人の住人が110番して助けを求められるような、いわば「地球村・中央警察」のような頼りになる機関がないのである。

だから国家というのはこのような無政府状態(アナキー)というシステムの中では、常に一定の生き残るために必要な恐怖にさらされている。しかも他国が何を考えているのか、そのすべて知るのは不可能である。だから「他国不信」という恐怖をいつも感じざるを得ないのである。

この「恐怖から逃れたい!」という国家の欲望が究極までいくと、最後の絶対安心できる状態とは「世界制覇をすること」になる。なぜなら、世界制覇をして自分がナンバーワンになってしまえば、他国に攻撃されることはないからだ。当たり前である。世界制覇してしまえば、理論的には「他国」さえ存在しなくなってしまうからだ。

よってすべての国家は、なんとかして他の国を出し抜いて、国力や軍事力をより蓄えようとする傾向がある。だから国家は本能的に「攻撃的だ」、というのが、このミアシャイマー氏の「オフェンシヴ・リアリズム」の理論なのである。

▼リアリストの「冷酷な計算」

鋭い方はここで「シャキーン!」と気がつくはずだ。ミアシャイマー氏の国際分析の理論には、「どちらが正義だとか悪だ」というような政治的な価値判断が、全く含まれていない、ということを。

これは彼の相棒であるウォルト氏にも言えることなのだが、総じてリアリストというのは、すべての国家の外交政策を決める要素は、軍事力や国力がベースとなる「権力(パワー)である」と割り切っているため、政策分析に余計な道徳判断を入れない。ようするに「どちらが道義的に正しい/悪い」ということは、一切考えないのである。

よって、彼らはナチスがユダヤ民族を抹殺しようとしていた、というようなことは、全く分析の対象にしない。彼らはただ冷酷に、当時のドイツ周辺の国家の力学や軍事バランスだけを見て「なぜこういう安全保障問題が起こったのか?」と物理的、科学的に考えるのである。「戦争へ突入していく政治的な理由」などは、彼らにとっては論外の話なのである。

このような冷酷な分析の仕方であるが、彼らの書いたものから実際に読み取ることができる。その例を見てみよう。

このディベート大会の直前に、ミアシャイマー氏とウォルト氏は、共著で「フォーリン・ポリシー」(Foreign Policy)という有名外交誌に「イラク:不必要な戦争」(Iraq: An Unnecessary War)という題名のイラク侵攻反対記事を書いている。この中で、

「イラクのサダム・フセインは、ネオコンたちに言われているほど侵略的な狂人というわけではない。」「周りの国と比べれば、フセインは過去三十年の独裁支配の期間に、たった二回しか戦争を仕掛けていない。」「よって、歴史的な記録だけに注目すれば、エジプトやイスラエルよりもヒドイというわけではない。」

という、なんとも驚くべき発言をしているのである。たしかに安全保障上の「史実」だけに注目すれば、事実は事実である。フセインのイラクは、イスラエルよりも「侵略的」というわけではない。こういうことをズバズバと正面から指摘するのだから、シオニスト(イスラエル国家主義者)であるネオコンたちに嫌われるのも、無理はない。

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