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「リアリストたちの反乱」(その七)

▼自由討論の時間に突入

前回まで紹介したように、ネオコン、リアリストの両サイドからそれぞれ二人づつ、合計4人の発表が一応終わった。5分という短い時間ながらも、切れ味鋭い分析で圧倒的な存在感を示したのは、やはりリアリストのミアシャイマーであった。

この討論会では4人の発表のあと、休憩をはさまずに討論会の最大の山場である、自由討論の時間へとすぐさま突入した。ここでは観客などの質問から上ってきた問題点(イシュー)をネタにして、好き勝手に話合うというスタイルで行われることになる。

外国の講演会などに行ってみるとわかるのだが、このように発表を短めに切り上げてすぐ討論会に入るというのは全然珍しいことではない。むしろ三分の一が発表で、あとの三分の二は質問の時間というのさえザラである。欧米では講演者の発表が終わる頃になると、観客が質問したくてウズウズしはじめているほどだ。

この違いは何なのかというと、やはり欧米人は質問して自分の疑問を解消させることによって、自分のつぎ込んだ時間(投資)の元を取ってやれという損得勘定が大きく働いているからである。

これを「なんともハシタない」と考えていてはダメである。この忙しい時代にワザワザ貴重な時間を割いて聞きにくるのだから、昼寝してムダにすごすよりも、つまらなかったらすぐ帰るぐらいでちょうどいいのだ。日本人もこういう積極的な(?)姿勢をもっと見習ってもいい。

▼両方とも「リアリスト」?

自由討論の時間では、まずはじめにこの討論会の司会を担当していた外交評議会会長(当時)のレスリー・ゲルプから簡単な説明があった。余談だが彼はつい最近、「イラク三分割案」を発表して話題になったばかりの人物である。

ゲルプ会長が述べたのは、リアリスト、ネオコンの両陣営とも「保守派リアリスト」という政治思想に属するということである。「ええっ!両方ともリアリスト?!」と驚くかもしれないが、安心して欲しい。ゲルプ会長の言わんとしているのは、彼らはアメリカの国益の計算をまったく「共通のもの」を基礎として分析しているからである。だから大きくみれば「リアリスト」だと言うのだ。

この「共通のもの」とは何か?これをうまく説明しているのが、チャールズ・クラウトハマーというネオコン派のコラムニストが、ナショナル・インタレストという外交誌の2002年冬季号で発表した「一極体制の瞬間・再訪」(the Unipolar Moment Revisited)という論文である。ここで彼は、国際政治の捉え方には、伝統的に「紙と力」(Paper vs. Power)の対立があった、と説明しているのだ。ちなみにクラウトハマーは最近、日本に核武装をさせろと論じたことで話題になった人物だ。

彼によると、リベラル派(自由主義者)は、国際法や国連などの国際社会の枠組みで問題に対処しようする。彼らが頼るのは、条約や法律文書などの「紙」(ペイパー)である。日本のメディアで出てくるのは、ほとんどがこのような議論であることはいうまでもない。

ところが、そんな「紙」だけじゃ何にもならん、やはり軍事力や権力などによる脅しがなければ、このアナキーな世界の問題は解決しない!というのが現実派(リアリスト)の立場である。彼らは軍事力などの「力」(パワー)を重視するのである。だからアメリカの外交政策では、常に「紙と力」の思想的戦いがあったというのだ。うまいたとえ方をする。

たしかに前項までの議論を見ると、両陣営ともに軍事力を基礎においた「パワー」というものを中心に国際社会を論じていることがわかる。本稿では便宜的に「リアリスト対ネオコン」ということで二派にわけたのだが、大きく見れば両派ともに軍事力を重視する右翼的な「リアリスト」であることには変わりがない。ゲルプ会長の指摘は正しいのである。

▼ベトナムの悪夢

両陣営が軍事力を重視するリアリストであること、そしてこのような保守派のなかでもこれほど意見が対立するほどイラク侵攻問題は難しいということを確認してから、いよいよ自由討論の時間に入った。まず司会のゲルプ会長が、ネオコン派のマックス・ブートの「参戦しないと国際社会でのアメリカの信頼性に傷がつく」というポイントには大きな説得力があることを指摘して、最初の議題としたのである。

ところがすかさずミアシャイマーは「『国際社会での信頼性』なんかクソ食らえだ」「ベトナムの時だってアメリカの戦略家たちは『国際社会での信頼性』が失われるから介入しろと散々論じてたじゃないか!」と反撃したのである。これには司会者のゲルプもビックリして「反論の余地ナシですな」といっており、当のブートも「ベトナムの話はいわないで下さいよ~」とやや茶化している。

ところがこれに噛み付いたのがネオコンのビル・クリストルである。かれはまず「チョムスキーみたいな分析のしかたはしないで欲しい」と言って軽く会場の笑いをとった。最近日本でも名前が売れてきたノーム・チョムスキーというアメリカの左翼系の知識人は、このようにアメリカエスタブリッシュメントの人間たちからは陰謀論を唱える変人のようにあしらわれている部分がある。

続けてクリストルは、「プランがなくてドロ沼にはまって行ったベトナムとはちがう!今回のわれわれにはハッキリとしたプランがあるのだ。」「だからこれをベトナムの時と比べるのはアホである」とまで言いのけたのである。かなり機嫌が悪そうだ。

このようにネオコンは「ベトナム」を持ち出されるあからさまに不快感を表す。なぜなら彼らのようなタカ派の戦略家の間では、当たり前だがベトナム介入は歴史的大失敗と考えられているからだ。

▼二つの歴史的教訓

アメリカの対外戦略には、大きくわけて二つの歴史的教訓から出た考え方がある。一つ目が「ベトナムアナロジー」であり、もう一つが「ミュンヘンアナロジー」である。

「ベトナムアナロジー」(Vietnam analogy)はご存知のとおり、ベトナムの教訓から生まれた、海外軍事介入恐怖症である。これは別名「ベトナムシンドローム」という現象としても知られているが、この軍事介入に失敗したおかげで、アメリカ政府の執行部では常に「ベトナムのようにドロ沼化してしまうんじゃないか?」という恐怖感に悩まされるようになったのだ。

ブッシュ・パパが第一次湾岸戦争を、そしてクリントンがコソボを空爆だけにして早めに切り上げたのも、すべてこの泥沼化を恐れていたからだというは周知の事実だ。彼らは「ベトナムの状況に照らし合わせて」(ベトナムアナロジー)、早めの撤退を判断したのである。

これとまったく逆の、歴史の教訓がある。これが「ミュンヘン講和」(1938年)でヒトラーの増長を許してしまった反省から生まれた「ミュンヘンアナロジー」(Munich analogy)である。これは軍事介入をしなかったおかげで、アメリカは大きな失敗をしてしまった、だからヒトラーのようなやばい奴がいたら、早めに介入して積極的に叩いておけ!ということなのである。かなりタカ派の理論である。

アメリカ上層部ではこのように、ベトナム戦争以降、海外軍事介入の時にはつねにこの二つの歴史的教訓を元にした状況分析で議論が白熱するのである。もちろん今回のブッシュ政権のなかでもこういう議論があったのはいうまでもない。

なんだか大げさだが、単純にいえばこの二つは「介入するべきか、介入せざるべきか」という話なのである。

▼泣き喚くネオコン

「ベトナムアナロジーはアホだ論」をひと段落させ、「キッシンジャーのような現実政治(リアルポリティーク)はまったく現実的じゃない!」と毒づいたクリストルが発言を終えると、ミアシャイマーが再び登場してきた。これによって議論はとたんに活気づいてきた。

そしてついに「その時」が来た。クリストルがミアシャイマーと正面切って議論を交わし始めてから突然、激しく取り乱したのである。そしてここからついに、ネオコンの論理が崩壊をはじめたのだ。

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