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地政学を英国で学んだ
しばらくお待ち下さい。
2012年04月05日 世界なんていわばエゴとエゴのシーソーゲーム

-▼今日のChoke Point▼-

1:地政学的視点で世界を視る
2:「ソフト・バランシング」というスコープ
3:日本人よ「リアリスト」たれ

-▲         ▲-

#チョークポイント - Wikipedia ( http://goo.gl/z1J9z )

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今週は、北朝鮮の「人工衛星」の発射実験が巷を騒がしているようだが、
今回の「アメ通」では、あえてこのトピックには触れず、
特に、より広く「国際秩序」に関係する事例を分析してみようと思う。

その前に、先日、私が元某国駐日本大使の講演で聞いた、
彼のモットー、「国際政治では"ありえない"はありえない」
という言葉について皆さんと共に考えてみたい。

私が三月中旬に、取材のために沖縄本島および
石垣島/宮古島を訪問したことは、すでに本メルマガでもお話したが、
その際に石垣島の地元の有力者の方々から直々に

「自衛隊をここに駐留させるのは、
メディアの影響などもあって、未来永劫不可能でしょうな」

という主旨の言葉を聞いた。

これはつまり、石垣島に住む人々にとっては
「石垣島に自衛隊が来るのはありえない」
という認識だということだ。

ところが現実の世界で起こったことは、かの元大使の、
「"ありえない"はありえない」というモットーの通り、
今回の北朝鮮の「人工衛星」発射という
安全保障上の重大事案が発生するいなや、あっという間に、
石垣島への自衛隊のPAC3部隊の派遣が決定したわけである。

前回、私が言及した通り、国際政治は危険なビジネスであり、
先の読めないことがいくらでも起こる。
そして今回の石垣島への自衛隊派遣の動きも、
このような「不確定な事態」の典型的な例と言えるのだ。

つまり、元大使のモットーの真意を紐解けば、
要するに「想定外」を想定してはならない、ということである。
国際情勢の勘所(チョークポイント)をよくご存知の
「アメ通」読者の皆さんには、もはや、こんなことは言うまでもないのだが、
より多くの一般日本人に、このような「想定外」の事態についての
柔軟な意識や認識を何としても身につけてほしいと願っている。

              -*- -*- -*-

さて、それでは本題に入りたい。

今回は、グローバル規模での地政学の枠組みに関する
最近起こった注目すべき三つの動きを紹介して、
「アメ通」読者の皆さんの「戦略思考」を刺激したいと思う。

まず一つ目は、先週の木曜日にインドの首都デリーで
BRICSと呼ばれる五カ国(印、中、露、ブラジル、南アフリカ)
の首脳たちの会合の話だ。
ここではこの新興五カ国間で、途上国のインフラを支援する
「BRICS銀行」の創設で、基本的な合意(「デリー宣言」)がなされた。

二つ目は、今週の月曜日(四月二日)に
フォークランド紛争の勃発から三十年が経過したというニュースだ。
この紛争は、一九八二年の四月二日にアルゼンチンの軍事政権が
イギリスが実効支配していたフォークランド諸島に侵攻して始まり、
同年六月一四日まで続いたものだ。
この軍事紛争に関して、イギリスとアルゼンチンの間では
最近になって再び政治的な緊張感が高まっている。

三つ目は、チリ大統領であるセバスティアン・ピニェーラ氏が、
三月二十八日から三〇日にかけて訪日したというニュースだ。
彼は天皇陛下に謁見した後、先の大震災の被災地を訪れている。

この三つのニュースだが、一見すると何の関連性もないように思える。

ところが私が「アメ通」誌上で行う分析の基盤としている
「リアリズム」学派で使われている概念からすれば、
この三つのニュースには大きな共通項があることが見えてくるのだ。

              -*- -*- -*-

ではその三つのニュースを結びつけるものは何か。
それは「ソフト・バランシング」(soft balancing)である。

それよりもまず、「バランシング」(balancing)とは何だろうか?

国際関係論という学問の理論では、
国際社会(厳密には「国際システム」)の中において、
飛び抜けて力の強い国が台頭してくると、
それ以外の国々は、本能的にそれに対する
力の均衡(バランス)をとるような行動を取る、
というメカニズムの存在が指摘されている。

この「バランシング」だが、
「国家はパワーを求めて行動する」
という原則を重視する、
リアリストと呼ばれる学者/政治家たちの間では、
国家の行動の原理を説明する概念として、
以前から盛んに論じられてきたものだ。

まるでシーソーや天秤でバランスを取るかのようにみえるために
「バランシング」という名前がつけられたのだ。

例えば、ナポレオンが出てきたときのフランスに対抗して
ヨーロッパ諸国が結成した「対仏大同盟」、
日本が大国化した時に他の大国が結成した、いわゆる「ABCD包囲網」などは、
この「バランシング」の典型的な例としてしばしば言及される。

「バランシング」というのは、平時よりも戦時のような、
状況が緊迫した場合によく現れるという傾向があり、
往々にして人員/物資の動員を伴う「軍備増強」といった、
安全保障的な側面が強いので、このメカニズムを表す際に
「ハード・バランシング」(hard balancing)
という言葉が使われることもある。

そしてそれとは反対の意味合いを持つものが
「ソフト・バランシング」である。

これは、軍事力のような目に見える具体的なものではなく、
より柔和な外交行動のような形で、
脅威に対抗しようとする性質を持つのだ。

この「ソフト・バランシング」という概念を
論文の形で最初に提唱したのは、おそらく、
シカゴ大学教授のロバート・ペイプ(Robert A. Pape)
というリアリストの学者であると思われる。

いささか宣伝めいた形になってしまい恐縮であるが、
拙訳のスティーブン・ウォルト著の
『米国世界戦略の核心』( http://goo.gl/SNiUf )
という本があるので、参考までに、
以下にその定義について論じた部分を引用してみよう。

(引用はじめ)

...ソフト・バランシングでは(国際社会のパワー)
の配分を変えることなどはそもそも狙っておらず、
むしろ現状のバランスを認めながら、
その枠組みの中でより良い結果を導き出そうとするのだ。

したがって、アメリカが支配的な現代における
ソフト・バランシングとは、アメリカの望んでいない結果
-反アメリカ同盟の国々が互いに協力し合わなければ現実不可能な結果-
を生み出すために、意図的に作り出される外交行動のことを意味する。

この定義から考えると、「ソフト・バランシング」とは、
アメリカの単独行動を起こす能力を制限しようとする戦略のことである。

(引用おわり)

これをわれわれの日常生活におきかえてみると、
怖くてパワフルなボスに対して、
弱い立場の部下たちがボスの悪い噂を流したり、
ボスを誘わずに自分たちだけで飲み会に行く、という行動である。
直接対抗できないために、弱い物同士で協力しあうのだ。

いうなれば、「ソフト・バランシング」というのは、
アメリカ以外の国々が、アメリカに対抗するために、
「ハード(=軍備増強)」な面ではなく、「ソフト(=外交)」な手段で
自らに有利な立ち位置を求めようとする行動のことなのだ。

読者のみなさんには、この際、
「弱い物たち」がバランスを行う相手として狙いを定めているのは、
「覇権的なアメリカ」である、という点を明確に認識しておいて頂きたい。

              -*- -*- -*-

「ソフト・バランシング」という概念を説明してみたが、
ざっくりとご理解頂けたのではないだろうか。

※これ以上の説明は省くが、より詳細を知りたいという
 向学心の高い読者の方は、前述の拙訳本をぜひご覧頂きたい。
 『米国世界戦略の核心』( http://goo.gl/SNiUf )

では読者の皆さんとこのような分析の前提を共有した上で、
「ソフト・バランシング」という概念使って、
冒頭の三つのニュースを「料理」してみたい。

一つ目のBRICS諸国の「BRICS銀行」の創設に関する動きだが、
ここでの国際政治のゲームのプレイヤーは
インド、中国、ロシア、ブラジル、南アフリカの五カ国である。

もちろん世界中のメディアで報じられたのは、
彼らが「同意したこと」よりも、彼らが「同意できなかった点」であり、
参加国同士の利害の衝突を逆に目立たせてしまった...
という面は確かに否定できない。

しかし、BRICS諸国は、表向きは不調和が目立った会合の裏で、
ドルへの依存を減らすべく、自国通貨の相互信用供与の拡大に
ちゃっかりと合意しているのである。これは明らかに、アメリカが主導する、
いわゆる「ドルの基軸通貨体制」への挑戦なのだ。

このような動きは、まさしく「バランシング」である。
さらに、軍事力という「ハード」面ではなく、
経済面という「ソフト」面での行動であるために、
「ソフト・バランシング」となるのである。

二つ目のフォークランド紛争三十周年に関わる政治的緊張の高まりだが、
最近になってアルゼンチンは、憎き敵国であるイギリスに対して
「英国の植民地主義は人類の恥」という強烈な反発を表明し、
自国内でイギリスと取引をしている企業に対して制裁措置を行うなど、
かなり強気の対応を見せているものの、実際の軍事力の行使までは想定していない。

しかし再選も控え、反米感情の高まりを恐れるオバマ大統領が、
この問題への介入に及び腰なことに加え、
そのようなアメリカの事情を見透かして、
中国までがアルゼンチンを支持していることから、
アルゼンチン側にはかなり強気の発言ができる環境にある。

つまりこのアルゼンチンとイギリスの対立では、
大きくは米中の代理戦争、
もしくは代理紛争状態(米・英vs.アルゼンチン・中国)
が生まれているのであり、アルゼンチンの行動は、
米英に対する「ソフト・バランシング」であるとも言えるのだ。

三つ目のチリ大統領の訪日だが、
日本ではこの大統領が「中南米共同体を推進している存在」
として報道されているように、
実際にピニェラ大統領率いるチリは、南米三三カ国が参加する、
「ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体」(CELAC)の議長国である
という点が重要である。

このゲームでのプレイヤーは、チリとその他中南米諸国であるのだが、
彼らが対抗している相手は、もちろんアメリカである。

この共同体では、親米国であるチリのピニェラ大統領を議長にして、
巧みに「反米」というメッセージを発しないように考慮しており、
当の大統領自身も、
「反米機関ではなく、参加国の多くはアメリカと良好な関係にある」
と主張している。
ところが、あからさまにアメリカを除いたその構成は、
アメリカが主導する「米州機構」(OAS)というブロックに対抗したい
という意思のあらわれであり、これは明らかにアメリカに対しての
「ソフト・バランシング」以外のなにものでもない。

以上の三つの動きは、今だに圧倒的なパワーを維持する
アメリカが覇権を握る世界秩序に対して戦略的に対抗するために、
「ソフト・バランシング」という行動が行われていることを示しているのだ。
この核心的なポイントを「アメ通」読者の皆さんにはしっかり押さえて頂きたい。

このような世界の動きは、
一般的には「多極化」と称されることが多いのだが、
これまでに本誌で主張している通り、
私はニュアンス的に「ブロック化」に近いものだと考えている。

              -*- -*- -*-

今回、私が素材として皆さんに提示したトピックは、
国内既存メディアにおいて、特段大きく取り上げられることもなく、
ましてや、「バランシング」という戦略コンセプトなどを使い、
トップダウン的に共通する要素を抽出し、
有機的な分析がなされるようなことはほとんどない。

もちろんだからといって、私は賢明なる「アメ通」読者の皆さんには、
日本のマスコミに対して、闇雲に「マスゴミ」など揶揄し、
簡単に罵倒して欲しくはないと考えている。

なぜならば、我が国の一般的な高等教育機関では、
アイディアやコンセプトといった、
より抽象的な視点から物事を俯瞰的に認識、思考するような
「作法」を身に付けるような教育が、
これまでほとんど行われてこなかったからである。

しかし、私はそんな我が国の情けない現状に対して、
実は、まだまだ「希望」を失ってはいない。

なぜなら、私は決して、いわゆる「エリート」
と言われるような境遇の下で育ったわけではないが、
そんな私でも「リアリズム」という学問体系に立脚した
国際政治の冷酷な理論を世界基準のアカデミックな場で学び、
厳しく鍛えられたことで、戦略的思考という「作法」を、
身につけることができたのだから。

ましてや、私などの話に
ここまでお付き合い下さる「アメ通」読者の皆さんは、
学識・経験ともに豊富であることは言を待たない。
適切なナビゲーションさえあれば、
このような「作法」をすんなり会得出来るであろうことも
また明白である。

その「作法」を身につける場として、
本誌を活用していただければ、私としても本望かつ望外の喜びである。

(おくやま)

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このサイトはリアリズムについて学ぶ人を増やすためのサイトです。

さて、早速ですが、・ネオコンをはじめとする勢力が狙ってきた米国の世界一極覇権支配は、長くは続かない。・中国が膨張し、アジアの覇権をねらい、世界は多極構造になる。 90年代から上記のように予想し、米国内でも論争してきたのがリアリスト学派です。

リアリスト学派は、国家のパワー(軍事力、政治力、人口規模、経済力等)がもっとも大事な要素と考え、

正義やイデオロギー、理念は関係ない。国際関係はパワーで決まり、パワーを予測し戦略を立てよう

と考える学派で、19世紀の英国の行ったバランス・オブ・パワーを活用した大戦略を信条とします。

ところが「リアリスト」を自認する日本の親米保守派は、
「経済中心主義」で「安保無料(だだ)乗り」をし続けていますが、
実は、彼らは、以下の2点で決定的、かつ、致命的な誤りを犯していたのです。
そして、そうした日本の政策は、冷酷な米国のリアリストから、
単なる「バンドワゴニング」に過ぎない、と足元を見透かされているのです。

その2点とは、

(1)日本はアングロサクソン(米英)についていれば大丈夫。

(2)米国は「民主制度」と「法治」、「人権」を重んずる日本を信頼し、
   一党独裁の共産主義中国を嫌っている。

ということです。

まず、(1)については、
日英同盟時も上手くいった。だから、これからも米国についてゆけば大丈夫!
万事問題ないというものです。

しかし、我が日本が戦後60年間、幸いにして戦争に巻き込まれなかったのは、
ほとんど偶然の産物であったということは、強く認識しておく必要があります。

米国は国益に係わることならば、いとも簡単に「友達」を切り捨て、裏切る国である。
国論が変われば友好国をあっさり切り捨ててきたことは、これまでの歴史の事実が証明しています。

・日中戦争では、蒋介石を応援しつつも、途中から毛沢東支援にまわった。

・ソ連打倒のためには台湾(中華民国)を切り捨て、中華人民共和国と国交を結んだ。

・ベトナム戦争では出口がみえなくなり、結局南ベトナム支援からあっさり撤退した。

・米国が支援していた南ベトナムは崩壊し、大量の難民があふれ出た。

・イラン・イラク戦争の時、イランが戦争に勝って影響力が拡大することを恐れた米国は、
 サダムフセインに(イラク)に軍事的な支援をした。
 しかし、支援した米国は干渉してこないと思ったフセインは、その後クウェートに侵攻し、
 湾岸戦争、イラク侵攻と2度の戦争で米国に打ちのめされ、最後は米軍に捕まり処刑された。

如何でしょうか?

これでもまだあなたは、アメリカはずっと「友達」でいてくれる!

と思えますか?

次に、(2)についてですが、
欧米メディアなどの報道によれば、米国内における中国の工作員の数は激増しています。
更には、人民解放軍には「政治工作条例」なるものまであります。
彼らは世論戦、心理戦、法律戦からなる「三戦」の任務を与えられ、
まさに今、中国は国策として、米国内で「世論戦」を仕掛けている、というのが冷酷な事実です。

正義や真実でなく、ウソでも現実をつくれると考える中国の
カネも人員もかけたまさに「人海戦術」的な、この国家戦略が功を奏し、
すでに米国世論では「尖閣は日本が強奪した島だ」ということに傾き始めている・・・
この危険な状況を皆さんはご存知でしょうか?

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例えば、韓国との従軍慰安婦問題をみるまでもなく、
日本国内で、いわゆる「保守派」といわれる人達が、
どれだけ「真実」を主張しても、
同じ日本人であるはずの国内左翼勢力がこの外患に呼応するという、
典型的なパターンに陥っている事例は、枚挙に暇がありません。

白州次郎は「日本をプリンシプルのない国」と言いました。
しかし、残念ながら、この分析は現在の日本にも今だに当てはまっているのです。

これらの冷酷な事実を踏まえ、
本サイトで皆さんとともに真剣に考えていきたいのは、以下の2点です。

・日本はいかにして「パワー」を獲得すればいいのか?

・どんな国家像を描き、グランド・ストラテジーを立てればよいのか?

この二つの質問を念頭に据えて、米国のリアリスト思考を学び、
日本におけるリアリスト思考を広げ、リアリスト学派をつくっていく。

これが、このサイト、www.realist.jpの目的です。
あなたも是非議論に加わって下さい。



リアリスト思考を最初に日本にもたらした、
シカゴ学派、元フーバー研究所上席研究員、故・片岡鉄哉先生に捧ぐ

日本がこのままの状態でいけば、
少なくとも十年以内に、二流、三流の地位まで確実に堕ちていくことになる。
現在の日本の状況を冷静に見れば、
どう考えてもそういう結論しか出てこないのだ。
しかし、日本はそのまま堕ちっぱなしというわけではない。

何年後になるかわからないが、日本はしぶとく復活するはずである。
国家というのはいつまでも堕ちっぱなしということはなく、
反省して自覚した国民が生まれ、それが国を復興することになるからである。

そのときに、決定的に必要となつてくるのが「理想」である。

地政学の祖であるマッキンダーは、
「人類を導くことができるのは、ただ理想の持つ魅力だけだ」
と言っている。

しかし彼は、同時に現実を冷静に見る目を
忘れてはならないことを鋭く警告している。
それが地理と歴史を冷静に分析した、
地政学という学問が与えてくれる視点なのである。
彼が一九一九年に発表した『デモクラシーの理想と現実』
という本の題名は、このような理想と現実のバランスの大切さを訴えている。

世界はこれから「カオス化」していく。
これはつまり、世界はこれからますます複雑化した
先の見えない場になるということである。

そして日本は、「カオス化」された状況の中で
自立を目指さなければならないし、
むしろ自立せざるを得ない状況に追い込まれることになるかもしれない。
そして、その中で世界に伍していくためには、
日本人は何よりもまず、リアリズムの思考法を身につけなければならない。

日本人は自分で責任を持って戦略を考えるという思考を捨ててしまい、
安易に平和的な解決だけを求めるという体質が染みついてしまった。
たとえば、外交における戦略も「善か悪か」で判断するため、
善を探そうとするあまり、次の一手がどうしても遅くなる。

しかも、日本が「善かれ」と思って世界に主張したことは、
まずもって善として見られていない。
他国はリアリズムの視点で「日本が何を狙っているのか」
と冷酷に見ているのだ。
だからこそ、わが国も外交戦略を「善悪」ではなく、
「強弱」で見るように訓練しなければならない。
「強弱」とは、現在わが国にとって、
この政策は他国と比べて立場を強めてくれるのか
弱めるものかという冷静な判断である。

弱いのであれば、より強い政策を打ち出さなければならないし、
強いものであれば、政策をより国益に近づけなければならない。
こうしたリアリズムの思考を身につけることは、
むしろ「国際的なマナー」なのである。