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地政学を英国で学んだ
しばらくお待ち下さい。
2012年05月03日 北朝鮮ミサイル騒動の"意図せぬ"!?大戦果

-▼今日のChoke Point▼-

1:「テクノロジー」が孕む本当の意味
2:「抽象度の高い思考」の重要性
3:死せるクラウゼビッツ、生きる現代人を動かす...

-▲         ▲-

#チョークポイント - Wikipedia ( http://goo.gl/z1J9z )

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冒頭から唐突であるが、実は縁あって、私は本年度より
「日本クラウゼヴィッツ学会」(http://www.clausewitz-jp.com/)
という研究団体のお手伝いを本格的にさせて頂くことになった。

私がこの光栄なるオファーをあえて受けさせていただいたのは、
カール・フォン・クラウゼヴィッツ(一七八〇~一八三一年)という
偉大な軍事思想家の研究が、我が日本では
世界的レベルと比べて大きく遅れており、
この危機的な事実を私自身がイギリスに留学していた頃より
長く懸念していたからでもある。

私の專門分野は「クラウゼヴィッツ研究」ではないのだが、
幸いなことに、私の周囲にはクラウゼヴィッツ研究を行っている
優れた専門家が多数おり、その方達との交流によって得た
貴重な知識やヒントなどを、日本におけるクラウゼヴィッツ研究に
ぜひとも活かしてもらいたいと考えたからだ。

クラウゼヴィッツによる数々の格言・名言の中でも、

「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」

という一節は、最も有名な「至言」というべきものであろう。

今回の「アメ通」では、読者の皆さんにこの言葉を意識しつつ、
これから私が展開する分析を聞いて頂きたいと思う。

              -*- -*- -*-

今回の分析の対象として取り上げたいのは、
北朝鮮の「人工衛星」打ち上げという事案についてである。

このトピックスについては、
結果としては「打ち上げ失敗」というあっけない幕切れで終わったことや、
国内大手メディアにおける評論家や専門家たちによる分析が
ひとまず出揃ったということもあり、
いささか「旬」を過ぎたのでは?と感じる読者も多いだろう。

しかし、ここであえて私がこの案件に言及するのには、
それ相応の理由がある。

振り返ってみれば、今回の日本の専門家や評論家たちによる分析のほとんどは、
「日本の自衛隊は、北朝鮮の"人工衛星"を本当に撃ち落とせるのかどうか」
という観点・論点からのものばかりであった。

これはつまり、防衛省側が用意したPAC3やイージス艦搭載のSM3などの
「迎撃ミサイルの性能」という、
いわば「技術的な問題」に終止していたものが多かったということだ。

いわゆる「リベラル派」ないしは「左翼系」
と称されることの多い国際政治評論家や軍事評論家の方々には、
特にこのような傾向がみられたのだが、彼らの議論の典型的な例としては、

「ミサイル防衛システムは実は命中率が低い、沖縄に配備したのは単なる気休めだ!」

「こんな無駄なことに投資している自衛隊・防衛省・それに日本政府はダメだ!」

というような批判が展開されるパターンが多かった。

もちろん「技術」的側面からの分析アプローチとしては、
このような批判のロジックにも妥当性があるように思える。

しかし今回は、「沖縄に自衛隊が展開する」という
いわゆる「リベラル派」ないしは「左翼系」の方々にとっては、
まったく"面白くない"事態が一気に進んでしまったわけで、
彼らが主張するような「何も効果を発揮しない兵器」を、
ほんの数ヶ月前には「配備するのは絶対に不可能」と思われていた
沖縄県の石垣島にまで配備することができてしまったわけである。

つまり、彼らの分析で決定的に欠落していたのは、それらの装備が
「なぜ沖縄の、しかも石垣島に」配備されなければならなかったのかという
「政治的」かつ「戦略的」な面の分析である。

              -*- -*- -*-

「なぜ、沖縄/石垣島だったのか?」ということを考察するとき、
「北朝鮮が発射に失敗して破片が落ちてくるコースに位置しているから」
という分析はたしかに妥当であるし、
メディアでは一般的にはそのような説明が主流だった。

ところがここで、「アメ通」読者の皆さんには一歩踏み込んで考えて頂きたい。
これまで私が主張してきたことの繰り返しになるようで恐縮だが、
発想や視点をほんの少し変えてみて頂きたいのである。

今回の本稿で皆さんに提示してみたいその視点とは、
日本国内ではなく、周辺国のリーダーたちの視点である。
彼らの目には、今回の一件はどのように映ったのだろうか。
たとえばあなたが中国のリーダーであったとしたら、
今回の件をどう捉えるだろうか。

たとえば初めて自衛隊が配備された石垣島である。
ここは地政学的に日中間の懸案となっているあの「尖閣諸島」から、
実は最も近い距離(一七〇キロ:東京~小淵沢IC間の距離)にあるのだ。

このような"きな臭い"ポイントに
世界最先端のミサイル防衛システムを展開・配備するということは、
中国側にとっては、具体的にどういう意味合いを持つのだろうか?

先に結論を言ってしまうと、これは、

「日本は北朝鮮の事案のついでに、石垣島まで自衛隊を展開できることを示し、
尖閣諸島を中国に渡さない、という強い意思表示をした」

ということなのだ。

「アメ通」読者の皆さんならば、もうお察しのことだろう。
中国側からすれば、石垣島への自衛隊展開は、
日本からの強烈なメッセージとなるのだ。

もちろん日本政府・防衛省・自衛隊等の関係者が、
このメッセージの発信を、
どこまで「意識的」に狙って行っていたのかはわからない。

だが、ミサイル防衛システムという
「軍事テクノロジー」が内包する「政治的な意味合い」については、
少なくとも日本よりは敏感な中国は、その反応をしっかりと見せている。

たとえば中国国営の新華社通信は、三月三一日付けの記事において、
北朝鮮の人工衛星打ち上げ事件と、
日本の「軍拡化」および尖閣諸島問題の流れ(=日本側の領有権の強化の動き)
には関連性があることを指摘している。

▼【参考記事】コラム|21世紀の日本と国際社会
  http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2012/445.html
 ※リンク先の記事本編後半部分に新華社通信の記事が紹介されている。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」いる我が日本が、
どのような真意をもっていのかどうかに関係なく、
中国側からすれば、今回の石垣島への迎撃ミサイル部隊の配備は、
表向きの標的は「北朝鮮」でありながら、
その真の狙いは中国への牽制であると認識しているはずだ。
そしてこのように考えるのが「リアリスト的」な思考であり、
それが冷酷な国際政治の場での常識である。

更に身も蓋もない表現をしてしまえば、
今回、「北朝鮮のミサイルを迎撃する」という
これまでの「日本的」対応と比べると
いささか「過剰」とも取られかねない意志を日本側が表したということは、
日本固有の領土である尖閣諸島を虎視眈々と狙っている中国に対する、
自衛隊が発した「威嚇」であり、「抑止を狙った行動」だった、
ということも言えるのである。

ところが日本国内の主要メディアの中で、
このような視点から今回の問題を捉えて考察しているものを、
私は寡聞にして知らない。

              -*- -*- -*-

さて、ここからが今回の「アメ通」の本題である。

ではなぜ日本の専門家や主要メディアで、
このような分析が為されないのであろうか?

この答えとして特に私が強調したいのは、
我々日本人の一般的な認識である。

なぜならわれわれが「テクノロジー」というものを考えるとき、
実はそこには「思想」や「世界観」そして「政治」という意味合いが
色濃く染み付いている、という認識が決定的に欠けているからだ。

上述したように、日本のメディアや専門家たちの多くは、
PAC3やSM3のようなミサイル防衛システムという「テクノロジー」を、
単なる「道具」という一面的な見方からしか捉えておらず、
飛んできたミサイルを本当に撃ち落とせるのかどうかという、
具体的な「スペック」や「性能」の話ばかりにフォーカスしていた。

ところが「道具」としてみたときの厳密な使用性能や、
技術の先端性というものは、
軍事技術という面だけで考えるともちろん重要ではあるのだが、
これが国際政治における影響力という話になると、
そのプライオリティは決定的に変わってくる。

国家というものが最も欲しているものは、あくまでも、
「それは政治面で本当に効果を発揮するのかどうか?」
という点にあることは、
「アメ通」読者の皆さんならば容易に理解して頂けると思う。

特に、ミサイル防衛システムのような
"軍事"に関する「テクノロジー」には、
日本人が思っている以上に、
「政治」という意味合いがこびり付いているものなのだ。

冷戦時代の核抑止の例などでもわかるように、
軍事テクノロジーを「実戦で使わない」、
つまり「道具」として使わないほうが、
「政治」的に大きな効果を発揮することは多いのだ。

魑魅魍魎が蠢く国際政治の現実から見てみると、
「日本がミサイル防衛システムを沖縄に比較的スムーズに配備できた」
という厳然たる事実は、とりわけ、中国の国防エリートたちにとって、
潜在的な「政治」的インパクトはかなり強かったはずである。

実のところ、今回の北朝鮮によるミサイル騒動のポイントは、
「実際に撃ち落とせたかどうか」ということではなく、
「石垣島の自衛隊のプレゼンスが、この地域のパワーバランスにどう影響したのか?」
という点に「重心」があったのだ。

「テクノロジー」というものについての認識や捉え方の差で、
ことほど分析の結果が変わってくるものであるが、
その分水嶺、まさに「チョークポイント」となるのが、
思考の「抽象度の高さ」である。

ところが日本でエリートを自認している大手メディアや、
大多数の知識人たちでさえも、今回の一件では以前と同じように、
「道具の性能をベースに政治を批判する」という、
誠に滑稽で「抽象度の低い」分析をくり返してしまったのだ。

              -*- -*- -*-

「テクノロジー」には思想や政治が含まれている。
そして、「国家が保有するテクノロジー」である「軍事テクノロジー」には、
それがさらに色濃く反映されるのだ。

最後になるが、私が冒頭でご紹介した
クラウゼヴィッツの至言の一節を思い出して頂きたい。
彼はあの言葉を使って、戦争と政治のつながりを強調したのだが、
この「戦争」の部分を「テクノロジー」におきかえても、
まったく同じことが言えるのだ。つまり、

「(軍事)テクノロジーは、他の手段を持ってする政治の継続である」

如何であろうか。
クラウゼヴィッツは現代においても
われわれに素晴らしい示唆を与え続けてくれているのだ。

(おくやま)

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さて、早速ですが、・ネオコンをはじめとする勢力が狙ってきた米国の世界一極覇権支配は、長くは続かない。・中国が膨張し、アジアの覇権をねらい、世界は多極構造になる。 90年代から上記のように予想し、米国内でも論争してきたのがリアリスト学派です。

リアリスト学派は、国家のパワー(軍事力、政治力、人口規模、経済力等)がもっとも大事な要素と考え、

正義やイデオロギー、理念は関係ない。国際関係はパワーで決まり、パワーを予測し戦略を立てよう

と考える学派で、19世紀の英国の行ったバランス・オブ・パワーを活用した大戦略を信条とします。

ところが「リアリスト」を自認する日本の親米保守派は、
「経済中心主義」で「安保無料(だだ)乗り」をし続けていますが、
実は、彼らは、以下の2点で決定的、かつ、致命的な誤りを犯していたのです。
そして、そうした日本の政策は、冷酷な米国のリアリストから、
単なる「バンドワゴニング」に過ぎない、と足元を見透かされているのです。

その2点とは、

(1)日本はアングロサクソン(米英)についていれば大丈夫。

(2)米国は「民主制度」と「法治」、「人権」を重んずる日本を信頼し、
   一党独裁の共産主義中国を嫌っている。

ということです。

まず、(1)については、
日英同盟時も上手くいった。だから、これからも米国についてゆけば大丈夫!
万事問題ないというものです。

しかし、我が日本が戦後60年間、幸いにして戦争に巻き込まれなかったのは、
ほとんど偶然の産物であったということは、強く認識しておく必要があります。

米国は国益に係わることならば、いとも簡単に「友達」を切り捨て、裏切る国である。
国論が変われば友好国をあっさり切り捨ててきたことは、これまでの歴史の事実が証明しています。

・日中戦争では、蒋介石を応援しつつも、途中から毛沢東支援にまわった。

・ソ連打倒のためには台湾(中華民国)を切り捨て、中華人民共和国と国交を結んだ。

・ベトナム戦争では出口がみえなくなり、結局南ベトナム支援からあっさり撤退した。

・米国が支援していた南ベトナムは崩壊し、大量の難民があふれ出た。

・イラン・イラク戦争の時、イランが戦争に勝って影響力が拡大することを恐れた米国は、
 サダムフセインに(イラク)に軍事的な支援をした。
 しかし、支援した米国は干渉してこないと思ったフセインは、その後クウェートに侵攻し、
 湾岸戦争、イラク侵攻と2度の戦争で米国に打ちのめされ、最後は米軍に捕まり処刑された。

如何でしょうか?

これでもまだあなたは、アメリカはずっと「友達」でいてくれる!

と思えますか?

次に、(2)についてですが、
欧米メディアなどの報道によれば、米国内における中国の工作員の数は激増しています。
更には、人民解放軍には「政治工作条例」なるものまであります。
彼らは世論戦、心理戦、法律戦からなる「三戦」の任務を与えられ、
まさに今、中国は国策として、米国内で「世論戦」を仕掛けている、というのが冷酷な事実です。

正義や真実でなく、ウソでも現実をつくれると考える中国の
カネも人員もかけたまさに「人海戦術」的な、この国家戦略が功を奏し、
すでに米国世論では「尖閣は日本が強奪した島だ」ということに傾き始めている・・・
この危険な状況を皆さんはご存知でしょうか?

-*- -*-

例えば、韓国との従軍慰安婦問題をみるまでもなく、
日本国内で、いわゆる「保守派」といわれる人達が、
どれだけ「真実」を主張しても、
同じ日本人であるはずの国内左翼勢力がこの外患に呼応するという、
典型的なパターンに陥っている事例は、枚挙に暇がありません。

白州次郎は「日本をプリンシプルのない国」と言いました。
しかし、残念ながら、この分析は現在の日本にも今だに当てはまっているのです。

これらの冷酷な事実を踏まえ、
本サイトで皆さんとともに真剣に考えていきたいのは、以下の2点です。

・日本はいかにして「パワー」を獲得すればいいのか?

・どんな国家像を描き、グランド・ストラテジーを立てればよいのか?

この二つの質問を念頭に据えて、米国のリアリスト思考を学び、
日本におけるリアリスト思考を広げ、リアリスト学派をつくっていく。

これが、このサイト、www.realist.jpの目的です。
あなたも是非議論に加わって下さい。



リアリスト思考を最初に日本にもたらした、
シカゴ学派、元フーバー研究所上席研究員、故・片岡鉄哉先生に捧ぐ

日本がこのままの状態でいけば、
少なくとも十年以内に、二流、三流の地位まで確実に堕ちていくことになる。
現在の日本の状況を冷静に見れば、
どう考えてもそういう結論しか出てこないのだ。
しかし、日本はそのまま堕ちっぱなしというわけではない。

何年後になるかわからないが、日本はしぶとく復活するはずである。
国家というのはいつまでも堕ちっぱなしということはなく、
反省して自覚した国民が生まれ、それが国を復興することになるからである。

そのときに、決定的に必要となつてくるのが「理想」である。

地政学の祖であるマッキンダーは、
「人類を導くことができるのは、ただ理想の持つ魅力だけだ」
と言っている。

しかし彼は、同時に現実を冷静に見る目を
忘れてはならないことを鋭く警告している。
それが地理と歴史を冷静に分析した、
地政学という学問が与えてくれる視点なのである。
彼が一九一九年に発表した『デモクラシーの理想と現実』
という本の題名は、このような理想と現実のバランスの大切さを訴えている。

世界はこれから「カオス化」していく。
これはつまり、世界はこれからますます複雑化した
先の見えない場になるということである。

そして日本は、「カオス化」された状況の中で
自立を目指さなければならないし、
むしろ自立せざるを得ない状況に追い込まれることになるかもしれない。
そして、その中で世界に伍していくためには、
日本人は何よりもまず、リアリズムの思考法を身につけなければならない。

日本人は自分で責任を持って戦略を考えるという思考を捨ててしまい、
安易に平和的な解決だけを求めるという体質が染みついてしまった。
たとえば、外交における戦略も「善か悪か」で判断するため、
善を探そうとするあまり、次の一手がどうしても遅くなる。

しかも、日本が「善かれ」と思って世界に主張したことは、
まずもって善として見られていない。
他国はリアリズムの視点で「日本が何を狙っているのか」
と冷酷に見ているのだ。
だからこそ、わが国も外交戦略を「善悪」ではなく、
「強弱」で見るように訓練しなければならない。
「強弱」とは、現在わが国にとって、
この政策は他国と比べて立場を強めてくれるのか
弱めるものかという冷静な判断である。

弱いのであれば、より強い政策を打ち出さなければならないし、
強いものであれば、政策をより国益に近づけなければならない。
こうしたリアリズムの思考を身につけることは、
むしろ「国際的なマナー」なのである。