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地政学を英国で学んだ
しばらくお待ち下さい。
2012年06月07日 "身も蓋もない"セレンディピティ!?

-▼今日のChoke Point▼-

1:「液状化する世界」
2:加奈陀で「東洋思想」を学んだ!?
3:寧ろ「小人」と為るも「君子」と為る無かれ

-▲         ▲-

#チョークポイント - Wikipedia ( http://goo.gl/z1J9z )

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今回は、まず最初に私が翻訳した新刊をご紹介したい。

▼『インド洋圏は世界を動かす:
     モンスーンが結ぶ躍進国家群はどこへ向かうのか』
 http://goo.gl/q8Aiz

今月の末には書店にも並ぶので、
ぜひ、本メルマガをお読みの皆さんにも
お手にとってご確認頂きたい。

この著書について簡単に解説すると、
原著者はロバート・カプラン(Robert Kaplan)と言う、
アメリカの有名なジャーナリストである。
普段は「アトランティック」という月刊誌の記者をしながら、
歴代の政権に色々と細かい政策アドバイスをしている。

原著は二〇一〇年の末に発刊されており、
今回は共訳という形で世に送り出すことになった。

本書の内容としては、
「今後のインド洋の安全保障の将来像を占う」
というルポタージュ形式のノンフィクション本である。

もちろん地政学的な話が満載であり、
生々しい国際政治の実態がわかる
現地事情のエピソードが満載で、
私自身も大いに刺激を受け、勉強になった。

「アメ通」読者の皆さんにこそ是非お読み頂きたい、
オススメの一冊である。

              -*- -*- -*-

さて、それでは今回の本題に入ろう。

今回はやや話が大きくなってしまうことを承知で、
「今後、この世界はどのようになっていくのだろう?」
ということを考えてみたい。

「アメ通」読者の皆さんならば、例えば、
「今後の世界秩序がどうなって行くのか?」といった命題について、
一度、と言わず、意識のどこかで考えたことがあるだろう。

F・フクヤマの「歴史の終わり」、S・ハンチントンの「文明の衝突」、
また、すこし古いところでは、∪・ベックの「リスク社会」なども、
「冷戦後」の世界を読み解くための思考・発想のヒントとして
九〇年代に、「嗅覚の鋭い」人達に多く読まれた著書であり、
その中には「アメ通」読者の皆さんも含まれていることと思う。

余談だが、私が最近とくに注目しているのは、
ジークムント・バウマンという哲学者が提唱している
「液状化」というコンセプトである。(http://goo.gl/cLHts)

冒頭でご紹介したカプランの本でも、
これからアメリカが経済的に力を落としていくに従い、
インド洋は複雑化して先の見えない状態になっていく、
といったことが述べられており、
これも(おそらく無意識的にではあるが)、
バウマンの「液状化」に近い世界像が示唆されている。

インド洋周辺の政治情勢というのは、それほど複雑なのであり、
ステレオタイプ的に
「インドが拡大する」とか
「中国が覇権を握る」のように、
単純に言い切れるような状況ではないのだ。

このように、今後の世界情勢というのは、
まさにカプランの本で示唆されているように、
更に混沌とした情勢となってゆくことは明白なのだが、
国際政治学の世界では、すでに冷戦終結直後の時点から、
「多極化」ということがしきりに言われており、
そのような主張をしていたのが、
拙訳『大国政治の悲劇』(http://goo.gl/hRVHU)でもお馴染みの、
シカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授であったことは
あまり知られていない。

ここまで私がご紹介してきた幾つかの書籍では、
今回のテーマである「これからの世界はどうなるのだろうか?」
という、いわば「今後の世界のイメージ」については、
どのように主張されているのだろうか。

誤解を恐れず、大きく言い切ってしまえば、

「民主化し続ける」(フクヤマ)
「宗教対立が激化する」(ハンチントン)
「リスクのある時代が来る」(ベック)
「すべてが"柔らかく"なる」(バウマン)
「多極化して自助の世界が復活する」(ミアシャイマー)

といったニュアンスのキーワードを含むものとなろう。

これらの主張はどれも漠然とは理解出来るものの、
現実問題として、果たして本当にそうなっているのか?
と考察してみると、
正直なところ、疑問を感じてしまうのもまた事実である。

むしろ「次の世界」について
ここまで識者の意見の不一致がある、という事実こそが、
先の見えづらい「混沌の時代」そのものを反映している、
とすら思える。

              -*- -*- -*-

最近、このテーマに関する文献を読み漁りつつ、
数々の文献に普遍的に顕れる「共通項」はないものか?
と想っていたところ、ふと、昔読んだある本のことを思い出した。

私がカナダ留学時代、西洋哲学コースで学んでいる際に精読した、
とある東洋の哲学思想についての本である。

この時、私は西洋哲学のコースを履修しながらも、
得も言われぬ「虚しさ」といった感覚を抱いてしまっていた。
そしてその「虚しさ」を解消するために、
なぜか反対に「東洋哲学」の書籍に手を伸ばしてしまったのである。

その時に手に取った中の一冊が「易経」(えききょう)である。

ご存じの方もいると思うが、「易経」というのは、
江戸時代のサムライ達にとって「必読本」と言える
いわゆる「四書五経」の中に、
孔子の「論語」などと一緒に収録されている一冊である。

この本は英訳の題に"the Book of Changes"
という名前がついていることからもわかるように、
自然や人間社会の「移り変わりの法則」を説いている、
極めて難解な本として有名である。

しかし、私が視たところ、
この「易経」が説いている根本原理は極めて明快である。

「易経」が云わんとしていることは、
この世の中は「陰」と「陽」の要素の
相互作用で成り立つという、
いわゆる「陰陽論」をベースにして、
あらゆる現象を説明するというものだからである。

              -*- -*- -*-

さて、今回のテーマである、
「今後の世界はどのようになるのか?」
という問いかけと、東洋の古典の「易経」が
一体どのようにリンクしてくるのか?
と、読者の皆さんもそろそろ感じているところではないだろうか?
その疑問にお応えしよう。

そこでまず、「陰陽論」でいうところ「陰」とは何か?
ということを読者の皆さんにもぜひとも考え頂きたい。

この要素から連想されるキーワードを私なりに列挙してみると、

・夜、女、右脳、暗い、分散する、わかりづらい、
 度量、智慧、小人、滞る

といったところになる。

そして同様に、その反対の要素である
「陽」についても思いつくまま挙げてみると、

・昼、男、明るい、左脳、集中する、わかりやすい、
 器量、知識、君子、発展する

というあたりに落ち着くはずだ。

そして上記のような
陰陽それぞれの要因から連想されるキーワードを挙げてみて、
私はまず「陽」に属する言葉たちから、
一つの「時代精神」(Zeitgeist)を想起してしまった。

それは世界的には「冷戦時代」であり、
冷戦の終わりの直前に日本に出現した、
あの祭りのような「バブル時代」である。

その反対に、今われわれがこの瞬間に直面しつつある、
現在の「時代精神」を思い浮かべてみると、
そこから出てくる結論は、
「陰」の方のキーワードばかりなのだ。

これはつまり、以前は「陽」の要素が強かった
「昼」の時代であったが、
現在は「陰」の要素が優勢になりつつある
「夜」の時代だということだ。

今回は、あえて「陰陽論」の詳細に踏み込むことは控えるが、
上述の仮説に基づけば、これからはまさに先が見通せなくなる
「夜」の時代を迎えるという結論を導くことができる。

そしてもしこの仮説が正ければ、
この「夜」の時代においては、
昭和の時代のように、一握りの「君子(リーダー)」が
その他大勢を導く体制ではなく、
「小人(一般の個人)」が自らの意志と思想で
路を切り拓いてゆく社会となることが示唆されているのだ。

インターネットというネットワーク型システムの出現によって、
旧態依然のピラミッド型組織が崩壊しつつある現状を見れば、
読者の皆さんも、この「陰」の時代という
陰陽論的な「世界観」に
多少なりともリアリティを感じて頂けるのではないだろうか。

webの世界の一部では、フリーランス的な働き方として、
「ノマド・ワークスタイル」が持て囃され、
既存の新聞・TVをはじめとする、
いわゆる「マスメディア」の崩壊なども
しきりに喧伝されている。

また、今後は「大きな組織」ではなく、
「小規模なグループや個人」の時代である、
ということもよく言われている。

これらの言説は、より高次の「世界観」のレベルにある
「時代精神」の流れから捉えれば、
ごく自然な認識であると言えるのだ。

そしてここに、「易経」に述べられている対処法が活きてくる。
では「易経」が教えている「夜」の時代の生き残り方とは何か?

それを端的にいえば、

「じたばたせずに、ただひたすら地道に生き残りをはかるべし」

ということなのだ。

この対処法は、特に目新しいわけでもなく、
人目を引くような派手さもなく地味であり、
言ってみれば「身も蓋もない話」である。

しかし読者の皆さんはもうお気付きだろう。
この「身も蓋もない話」こそ、
私がこれまで「アメ通」誌上で何度も述べてきたことだ。

もし「夜」の時代が本格的に到来するとすれば、
日本政府や大企業のような、大きな組織・団体に頼るのではなく、
我々日本人一人ひとりが「小人(=個人)」として
自分の頭で考えることができる人間、
つまり「リアリスト」として、
戦略的に行動しなければならない、
という当然の帰結となるのだ。

意外かもしれないが、「リアリズム」というコンセプトは、
「易経」という偉大なる東洋思想の結晶にも通じており、
そして、私たちが直面しているこの過酷な時代を
「生き残る術(すべ)」ともなるのである。

(おくやま)

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さて、早速ですが、・ネオコンをはじめとする勢力が狙ってきた米国の世界一極覇権支配は、長くは続かない。・中国が膨張し、アジアの覇権をねらい、世界は多極構造になる。 90年代から上記のように予想し、米国内でも論争してきたのがリアリスト学派です。

リアリスト学派は、国家のパワー(軍事力、政治力、人口規模、経済力等)がもっとも大事な要素と考え、

正義やイデオロギー、理念は関係ない。国際関係はパワーで決まり、パワーを予測し戦略を立てよう

と考える学派で、19世紀の英国の行ったバランス・オブ・パワーを活用した大戦略を信条とします。

ところが「リアリスト」を自認する日本の親米保守派は、
「経済中心主義」で「安保無料(だだ)乗り」をし続けていますが、
実は、彼らは、以下の2点で決定的、かつ、致命的な誤りを犯していたのです。
そして、そうした日本の政策は、冷酷な米国のリアリストから、
単なる「バンドワゴニング」に過ぎない、と足元を見透かされているのです。

その2点とは、

(1)日本はアングロサクソン(米英)についていれば大丈夫。

(2)米国は「民主制度」と「法治」、「人権」を重んずる日本を信頼し、
   一党独裁の共産主義中国を嫌っている。

ということです。

まず、(1)については、
日英同盟時も上手くいった。だから、これからも米国についてゆけば大丈夫!
万事問題ないというものです。

しかし、我が日本が戦後60年間、幸いにして戦争に巻き込まれなかったのは、
ほとんど偶然の産物であったということは、強く認識しておく必要があります。

米国は国益に係わることならば、いとも簡単に「友達」を切り捨て、裏切る国である。
国論が変われば友好国をあっさり切り捨ててきたことは、これまでの歴史の事実が証明しています。

・日中戦争では、蒋介石を応援しつつも、途中から毛沢東支援にまわった。

・ソ連打倒のためには台湾(中華民国)を切り捨て、中華人民共和国と国交を結んだ。

・ベトナム戦争では出口がみえなくなり、結局南ベトナム支援からあっさり撤退した。

・米国が支援していた南ベトナムは崩壊し、大量の難民があふれ出た。

・イラン・イラク戦争の時、イランが戦争に勝って影響力が拡大することを恐れた米国は、
 サダムフセインに(イラク)に軍事的な支援をした。
 しかし、支援した米国は干渉してこないと思ったフセインは、その後クウェートに侵攻し、
 湾岸戦争、イラク侵攻と2度の戦争で米国に打ちのめされ、最後は米軍に捕まり処刑された。

如何でしょうか?

これでもまだあなたは、アメリカはずっと「友達」でいてくれる!

と思えますか?

次に、(2)についてですが、
欧米メディアなどの報道によれば、米国内における中国の工作員の数は激増しています。
更には、人民解放軍には「政治工作条例」なるものまであります。
彼らは世論戦、心理戦、法律戦からなる「三戦」の任務を与えられ、
まさに今、中国は国策として、米国内で「世論戦」を仕掛けている、というのが冷酷な事実です。

正義や真実でなく、ウソでも現実をつくれると考える中国の
カネも人員もかけたまさに「人海戦術」的な、この国家戦略が功を奏し、
すでに米国世論では「尖閣は日本が強奪した島だ」ということに傾き始めている・・・
この危険な状況を皆さんはご存知でしょうか?

-*- -*-

例えば、韓国との従軍慰安婦問題をみるまでもなく、
日本国内で、いわゆる「保守派」といわれる人達が、
どれだけ「真実」を主張しても、
同じ日本人であるはずの国内左翼勢力がこの外患に呼応するという、
典型的なパターンに陥っている事例は、枚挙に暇がありません。

白州次郎は「日本をプリンシプルのない国」と言いました。
しかし、残念ながら、この分析は現在の日本にも今だに当てはまっているのです。

これらの冷酷な事実を踏まえ、
本サイトで皆さんとともに真剣に考えていきたいのは、以下の2点です。

・日本はいかにして「パワー」を獲得すればいいのか?

・どんな国家像を描き、グランド・ストラテジーを立てればよいのか?

この二つの質問を念頭に据えて、米国のリアリスト思考を学び、
日本におけるリアリスト思考を広げ、リアリスト学派をつくっていく。

これが、このサイト、www.realist.jpの目的です。
あなたも是非議論に加わって下さい。



リアリスト思考を最初に日本にもたらした、
シカゴ学派、元フーバー研究所上席研究員、故・片岡鉄哉先生に捧ぐ

日本がこのままの状態でいけば、
少なくとも十年以内に、二流、三流の地位まで確実に堕ちていくことになる。
現在の日本の状況を冷静に見れば、
どう考えてもそういう結論しか出てこないのだ。
しかし、日本はそのまま堕ちっぱなしというわけではない。

何年後になるかわからないが、日本はしぶとく復活するはずである。
国家というのはいつまでも堕ちっぱなしということはなく、
反省して自覚した国民が生まれ、それが国を復興することになるからである。

そのときに、決定的に必要となつてくるのが「理想」である。

地政学の祖であるマッキンダーは、
「人類を導くことができるのは、ただ理想の持つ魅力だけだ」
と言っている。

しかし彼は、同時に現実を冷静に見る目を
忘れてはならないことを鋭く警告している。
それが地理と歴史を冷静に分析した、
地政学という学問が与えてくれる視点なのである。
彼が一九一九年に発表した『デモクラシーの理想と現実』
という本の題名は、このような理想と現実のバランスの大切さを訴えている。

世界はこれから「カオス化」していく。
これはつまり、世界はこれからますます複雑化した
先の見えない場になるということである。

そして日本は、「カオス化」された状況の中で
自立を目指さなければならないし、
むしろ自立せざるを得ない状況に追い込まれることになるかもしれない。
そして、その中で世界に伍していくためには、
日本人は何よりもまず、リアリズムの思考法を身につけなければならない。

日本人は自分で責任を持って戦略を考えるという思考を捨ててしまい、
安易に平和的な解決だけを求めるという体質が染みついてしまった。
たとえば、外交における戦略も「善か悪か」で判断するため、
善を探そうとするあまり、次の一手がどうしても遅くなる。

しかも、日本が「善かれ」と思って世界に主張したことは、
まずもって善として見られていない。
他国はリアリズムの視点で「日本が何を狙っているのか」
と冷酷に見ているのだ。
だからこそ、わが国も外交戦略を「善悪」ではなく、
「強弱」で見るように訓練しなければならない。
「強弱」とは、現在わが国にとって、
この政策は他国と比べて立場を強めてくれるのか
弱めるものかという冷静な判断である。

弱いのであれば、より強い政策を打ち出さなければならないし、
強いものであれば、政策をより国益に近づけなければならない。
こうしたリアリズムの思考を身につけることは、
むしろ「国際的なマナー」なのである。