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地政学を英国で学んだ
しばらくお待ち下さい。
2012年7月6日 今こそ求められる"Show the Flag(=錦の御旗)"

-▼今日のChoke Point▼-

1:「きみとは【【価値観】】が合わないな・・・」
2:「わたしはあなたとは違うのよ・・・。」
3:相手を落とすには抽象度を上げよ!

-▲         ▲-

#チョークポイント - Wikipedia ( http://goo.gl/z1J9z )

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前回の「アメ通」では、いわゆる「従軍慰安婦問題」
への対処の仕方などについて考えてみたが、
ここで浮き彫りになってきた問題点が二つある。

まず一つは、現在の国際政治環境において、
「価値観」(value)をめぐる争いが起こっているという事実。

そしてもう一つは、この争いに関して日本の「外交ムラ」のエリートたちが
悲しいことに全く力不足であるという点である。

今回は、上記2点について、皆さんと考えてみたい。

              -*- -*- -*-

まず「価値観」をめぐる争いからみてゆこう。

たとえばこれは、最近の米中間における、
人権侵害についての対立構造に見られるものだ。

最近のアメリカ主導の「一極世界」というものは、
世界経済の不調やイラク・アフガン戦争での失敗などもあり、
一時期ほどの勢いはない。

それでも辛うじて、アメリカが、
経済力でも軍事力の面でも
ナンバーワンの「覇権国」であることには変わりがない。

そのような圧倒的なアメリカのパワーの下で
国際秩序の安定が生まれているのは周知の通りだが、
「ある種のパワー」をめぐる争いはいまだに起こっている。

それが、「価値観をめぐる争い」である。

ここで注目すべきなのは、米国と中国と間で起こっている
「人権」という価値観をめぐる争いだ。

具体的に言うと、アメリカの国務省が毎年発行している
「国別人権リポート」をめぐるイザコザなのだ。

この年次報告書でアメリカが中国の人権侵害の実態を批判し、
それに対して、北京政府が非難声明を出して応酬する
というのが、ここ数年の通例になっていた。

しかし近年、アメリカからの批判に腹を据えかねた中国側は、
更に本格的な対抗手段を採用することになった。
それが「アメリカにおける人権記録報告」という報告書であり、
北京政府はいかにアメリカ国内で人権侵害が行われているのかを
徹底的に暴いている。

これはつまり、中国側からのメッセージとして、
「アメリカさん、あんたも一緒でしょ」
ということを国際社会に対してアピールしているわけである。

これはまさに「価値観」をめぐる争いである。

              -*- -*- -*-

次に、日本の「外交ムラ」の情けない状況について考えてみよう。

元国連職員である私の友人によれば、
日本の対外交渉の仕方は、「日本だけの特殊事情」
を強調するものだという。

「うちはちょっと例外なんですよ!例外を認めて下さい!」
と必死に相手に頼み込むというのが
日本の外交交渉の常套手段だというのだ。

しかしこのやり方は、普遍的な価値観、
言うなれば「大義」を背負ったものではないために、
交渉時に相手を圧倒できるような
迫力や勢いを感じることが出来ない。

TPPの一連の交渉を見てもよくわかるように、
日本側は「日本の特殊事情」ばかりを強調して、
TPPというシステムの根底に流れている「自由貿易」
という「普遍的な価値観」の面から論を展開しているものは、
残念ながら、ほとんどお目にかかることがない。

これは、日本の対外交渉の担当者たちが
「普遍的な価値観」
という"攻撃的な"交渉の武器をつかわずに、
「特殊事情」という壁をつくって
防戦一方の交渉をしていることを意味している。

なんとも歯痒い話なのであるが、日本の外交担当者達は、
「普遍的な価値観」という、
いわば「錦の御旗」を使いこなせていないのだ。

このような状況は、大かれ少なかれ、
日本国のみならず、各国が抱えている問題でもあるので、
彼らばかりを責めるわけにはゆかないのかもしれない。

しかし、それでも私は敢えて言いたいのだが、
交渉の際には「普遍的な価値観」を全面に打ち出して主張する、
つまり、常に「攻撃」し続ける必要があるのだ。

もちろん実際の交渉の場では、
自国の特殊事情も説明して
「防御」しなければならないところはあるが、
日本場合はその「防戦」一方である点が
大きな問題なのだ。

そして、ここに今回の「アメ通」で、
皆さんに考えて頂きたい「チョークポイント」がある。

「特殊事情」と「普遍的な価値観」の対立というのは
つまり、「ローカル」と「グローバル」という
価値観の衝突と言い換えることができるのだ。

そしてこれこそが、
現在のグローバル化時代の大きな対立構造の一つなのである。

              -*- -*- -*-

先週お話した「従軍慰安婦問題」を思い出して頂きたい。

「アメ通」読者の皆さんならば、それが見事に、
「特殊事情」と「普遍的な価値観」の対立
という構造になっていることにお気付き頂けると思う。

この問題は、日本側にとっては具合の悪いことに、
「これは日本の"特殊事情"である!」と主張して、
「ローカル」の問題に落し込むことが出来ないものだ。

なぜなら米国内の韓国勢力が、
「グローバル」な価値観である「人権」
という価値観を持ち出して、日本を非難してきたからだ。

その対抗手段として、私は前回、
「日本も相手側の人権侵害を喧伝すべきだ」として、
ベトナム戦争における朝鮮兵の残虐行為の例を使うべし!」と提起した。

これは、同じ「人権侵害」というカードを使って、
相手も一緒に巻き込んでしまうという戦術である。

この「人権侵害」という概念は、「錦の御旗」である。
日本政府も遠慮せずに、どんどん積極的に旗を振ればいいのだ。

先の大戦の後、日本に駐留していたアメリカの進駐軍は、
基地のそばに「吉原をつくれ」と命令したり、
日本の婦女子に対して多くの狼藉を働いていたなどの記録がある。

これをアメリカに対して、訴訟などの形をとってぶつけてみたり、
同列の問題にまで拡大してしまうというのはどうであろうか。
つまりアメリカに対して「錦の御旗」を振るわけである。
これは「従軍慰安婦問題」以上に大きな問題となろう。

そうなれば、これまでは単なる傍観者であったアメリカも、
自らが問題の「当事者」となり、「炎上」が始まりかねない。

すぐに米国内の韓国勢力に圧力をかけて、
例の銅像設置問題などは、直ぐに「消火」されることとなろう。

              -*- -*- -*-

このような、ある意味で「悪賢い」戦略こそが、
外交や国際政治の現場では必要だ。

読者の皆さんにもここでしっかり考えて頂きたいのであるが、
なぜ日本の対外政策エリートたちは、
このような発想が出来ないのであろうか?

私は常々思っているのだが、日本のエリートたちは、
「思考の抽象度」を上げる訓練をされていないのではないか。

この「抽象度」を上げるには、具体的な話をするというよりも、
そのためのベースとなる、哲学や論理、思想や宗教のような、
いわゆるリベラルアーツ的な学問を、
体系的にキッチリと学びきることが必要である。

しかし、我々一般の日本人のみならず、
曲がりなりにも国を動かす立場にあるようなエリートたちでさえ、
肝心肝要の抽象的思考を「神学論争だ」といって、
長らく目を背けて続けて来たのが実態なのだ。

何度でも言わなければならないのだが、
少なくとも、現在の国際政治の表舞台では、
「価値観」といった抽象度の高い思考を扱えるかどうか?
が決定的な要因となってしまう。

よって、国家の対外政策を担う人々は、
思考の「抽象度」を上げるべく、
今すぐにでも"具体的な"行動を起こさねばならない。

我々日本人は、自国だけの「特殊な事情」のみを主張し、
個別具体的な方法、または可視化された「策」だけで
事を運ぼうとすることは、もはや限界である。

自らの利益を追求しようと、虎視眈々と狙っている相手に対して、
我々は堂々と「錦の御旗」を
はためかさなければならないのである。

(おくやま)

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さて、早速ですが、・ネオコンをはじめとする勢力が狙ってきた米国の世界一極覇権支配は、長くは続かない。・中国が膨張し、アジアの覇権をねらい、世界は多極構造になる。 90年代から上記のように予想し、米国内でも論争してきたのがリアリスト学派です。

リアリスト学派は、国家のパワー(軍事力、政治力、人口規模、経済力等)がもっとも大事な要素と考え、

正義やイデオロギー、理念は関係ない。国際関係はパワーで決まり、パワーを予測し戦略を立てよう

と考える学派で、19世紀の英国の行ったバランス・オブ・パワーを活用した大戦略を信条とします。

ところが「リアリスト」を自認する日本の親米保守派は、
「経済中心主義」で「安保無料(だだ)乗り」をし続けていますが、
実は、彼らは、以下の2点で決定的、かつ、致命的な誤りを犯していたのです。
そして、そうした日本の政策は、冷酷な米国のリアリストから、
単なる「バンドワゴニング」に過ぎない、と足元を見透かされているのです。

その2点とは、

(1)日本はアングロサクソン(米英)についていれば大丈夫。

(2)米国は「民主制度」と「法治」、「人権」を重んずる日本を信頼し、
   一党独裁の共産主義中国を嫌っている。

ということです。

まず、(1)については、
日英同盟時も上手くいった。だから、これからも米国についてゆけば大丈夫!
万事問題ないというものです。

しかし、我が日本が戦後60年間、幸いにして戦争に巻き込まれなかったのは、
ほとんど偶然の産物であったということは、強く認識しておく必要があります。

米国は国益に係わることならば、いとも簡単に「友達」を切り捨て、裏切る国である。
国論が変われば友好国をあっさり切り捨ててきたことは、これまでの歴史の事実が証明しています。

・日中戦争では、蒋介石を応援しつつも、途中から毛沢東支援にまわった。

・ソ連打倒のためには台湾(中華民国)を切り捨て、中華人民共和国と国交を結んだ。

・ベトナム戦争では出口がみえなくなり、結局南ベトナム支援からあっさり撤退した。

・米国が支援していた南ベトナムは崩壊し、大量の難民があふれ出た。

・イラン・イラク戦争の時、イランが戦争に勝って影響力が拡大することを恐れた米国は、
 サダムフセインに(イラク)に軍事的な支援をした。
 しかし、支援した米国は干渉してこないと思ったフセインは、その後クウェートに侵攻し、
 湾岸戦争、イラク侵攻と2度の戦争で米国に打ちのめされ、最後は米軍に捕まり処刑された。

如何でしょうか?

これでもまだあなたは、アメリカはずっと「友達」でいてくれる!

と思えますか?

次に、(2)についてですが、
欧米メディアなどの報道によれば、米国内における中国の工作員の数は激増しています。
更には、人民解放軍には「政治工作条例」なるものまであります。
彼らは世論戦、心理戦、法律戦からなる「三戦」の任務を与えられ、
まさに今、中国は国策として、米国内で「世論戦」を仕掛けている、というのが冷酷な事実です。

正義や真実でなく、ウソでも現実をつくれると考える中国の
カネも人員もかけたまさに「人海戦術」的な、この国家戦略が功を奏し、
すでに米国世論では「尖閣は日本が強奪した島だ」ということに傾き始めている・・・
この危険な状況を皆さんはご存知でしょうか?

-*- -*-

例えば、韓国との従軍慰安婦問題をみるまでもなく、
日本国内で、いわゆる「保守派」といわれる人達が、
どれだけ「真実」を主張しても、
同じ日本人であるはずの国内左翼勢力がこの外患に呼応するという、
典型的なパターンに陥っている事例は、枚挙に暇がありません。

白州次郎は「日本をプリンシプルのない国」と言いました。
しかし、残念ながら、この分析は現在の日本にも今だに当てはまっているのです。

これらの冷酷な事実を踏まえ、
本サイトで皆さんとともに真剣に考えていきたいのは、以下の2点です。

・日本はいかにして「パワー」を獲得すればいいのか?

・どんな国家像を描き、グランド・ストラテジーを立てればよいのか?

この二つの質問を念頭に据えて、米国のリアリスト思考を学び、
日本におけるリアリスト思考を広げ、リアリスト学派をつくっていく。

これが、このサイト、www.realist.jpの目的です。
あなたも是非議論に加わって下さい。



リアリスト思考を最初に日本にもたらした、
シカゴ学派、元フーバー研究所上席研究員、故・片岡鉄哉先生に捧ぐ

日本がこのままの状態でいけば、
少なくとも十年以内に、二流、三流の地位まで確実に堕ちていくことになる。
現在の日本の状況を冷静に見れば、
どう考えてもそういう結論しか出てこないのだ。
しかし、日本はそのまま堕ちっぱなしというわけではない。

何年後になるかわからないが、日本はしぶとく復活するはずである。
国家というのはいつまでも堕ちっぱなしということはなく、
反省して自覚した国民が生まれ、それが国を復興することになるからである。

そのときに、決定的に必要となつてくるのが「理想」である。

地政学の祖であるマッキンダーは、
「人類を導くことができるのは、ただ理想の持つ魅力だけだ」
と言っている。

しかし彼は、同時に現実を冷静に見る目を
忘れてはならないことを鋭く警告している。
それが地理と歴史を冷静に分析した、
地政学という学問が与えてくれる視点なのである。
彼が一九一九年に発表した『デモクラシーの理想と現実』
という本の題名は、このような理想と現実のバランスの大切さを訴えている。

世界はこれから「カオス化」していく。
これはつまり、世界はこれからますます複雑化した
先の見えない場になるということである。

そして日本は、「カオス化」された状況の中で
自立を目指さなければならないし、
むしろ自立せざるを得ない状況に追い込まれることになるかもしれない。
そして、その中で世界に伍していくためには、
日本人は何よりもまず、リアリズムの思考法を身につけなければならない。

日本人は自分で責任を持って戦略を考えるという思考を捨ててしまい、
安易に平和的な解決だけを求めるという体質が染みついてしまった。
たとえば、外交における戦略も「善か悪か」で判断するため、
善を探そうとするあまり、次の一手がどうしても遅くなる。

しかも、日本が「善かれ」と思って世界に主張したことは、
まずもって善として見られていない。
他国はリアリズムの視点で「日本が何を狙っているのか」
と冷酷に見ているのだ。
だからこそ、わが国も外交戦略を「善悪」ではなく、
「強弱」で見るように訓練しなければならない。
「強弱」とは、現在わが国にとって、
この政策は他国と比べて立場を強めてくれるのか
弱めるものかという冷静な判断である。

弱いのであれば、より強い政策を打ち出さなければならないし、
強いものであれば、政策をより国益に近づけなければならない。
こうしたリアリズムの思考を身につけることは、
むしろ「国際的なマナー」なのである。