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地政学を英国で学んだ
しばらくお待ち下さい。
2012年7月12日 クラウゼビッツが説くリーダーの資質

-▼今日のChoke Point▼-

1:求む「軍事的天才」
2:先ず隗より始めよ
3:リアリストの資質

-▲         ▲-

#チョークポイント - Wikipedia ( http://goo.gl/z1J9z )

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今回は、「戦略」というトピックにおいては、定番/王道とも言える、
クラウゼヴィッツの思想にまつわる話から始めたい。

以前もお話した通り、私は縁あって
「日本クラウゼヴィッツ学会」(http://www.clausewitz-jp.com/)
という団体の活動をお手伝いさせて頂いており、
定例会などにも参加させて頂いている。
そして、いつも会合後に考えさせられるのは、
クラウゼヴィッツの唱える「軍事的天才」というアイディアである。

この概念について説明させていただきたい。

クラウゼヴィッツは、『戦争論』のなかで、
戦争を「カオス状態」であると表現している。
これはつまり、
自分の思い通りに事が進まない混乱した現象であり、
うまく事を運ぶのは非常に困難である・・・
と論じているのだ。

ところが、丁寧に歴史を視ていくと、
このような困難・苦難だらけの戦時においても、
嗅覚鋭く勝機を見極め、自軍を劇的な勝利に導いた
希有な能力を持ったリーダーがたくさんいる。

彼らには「大局観」とでも呼べるものが備わっており、
どこが最も重要なポイントで、
どこに働きかければ問題を解決できるのか?
その「勘所」(チョークポイント)を知っていたのだ。

そしてこのような人物のことを、
クラウゼヴィッツは「軍事的天才」と言い表している。

さて、ここからが、今回の「アメ通」で、
皆さんと一緒に考えてみたい本論となる。

今の日本に、果たしてこのような
「軍事的天才」は存在するのだろうか?

              -*- -*- -*-

直近の注目トピックである、
尖閣諸島に関する諸々の問題を具体例として、
思考を深めてみよう。

例えば、この件に刺激された中国や台湾側の人間や
準軍事組織などが、もし尖閣諸島に上陸したとなった場合、
これは言うなれば「戦争」の一歩手前の危機、
事実上の「紛争状態」と言ってしまっても差し支えない状況になる。

この際、日本政府は、実際にどのような対応ができるのか?

もちろん、国土防衛を任務とする防衛省や自衛隊の内部では、
外国勢力による尖閣諸島上陸というシナリオと、
その奪還を想定した図上演習などは既に行っていると思われるが、
ここで肝心なのは、根本的には、統治の主体である日本政府が
どれだけ適切で有効な措置を取れるかどうかなのである。

数年前の「尖閣諸島中国漁船衝突事件」では、
当時の菅政権が、拿捕した中国側の船長の処分について
地元の沖縄地検に判断を押し付けるという、
およそ主権国家とは思えない対応の仕方をしている。

菅前首相と言えば、先頃、国会主導で進んだ
原発事故調査会の報告書でも、
リーダーシップの欠如が問われるような事例が
数多く報告されていたことは、
皆さんも報道などでご存知だろう。

このように、現在の日本の政治状況を視てみれば、
尖閣問題だけではなく、さまざまな意味で
「戦争」のような混乱・錯綜状態にあるともいえる。

そして、この「カオス」は、企業や団体組織、
それにわれわれ個人の生活環境に至るまで、
広く日本社会全体に充満していると言っても過言ではない。

このようなシビアな現状認識に至ったならば、
リアリストたらんと志す私たちは、
政府や企業のリーダー達への不満を、
ただ口にするだけに留まっていてはダメだ。

「案ずるより産むが易し」ではないが、
まず私たち自身が「軍事的天才」になる方法を
実践して行けば良いのである。

さすがにいきなり「天才」は・・・、
ということであれば、まずは「秀才」あたりを
目指すところから始めてみては如何だろうか?

「そうは言っても、いったいどうすれば・・・」
という読者の皆さんの心の声が聞こえるようだが、
まずはそのヒントのようなものを示してみたい。

              -*- -*- -*-

私の師であり、
熱心なクラウゼヴィッツ主義者として知られている
イギリスの戦略家コリン・グレイは、
「軍事的天才」のことを
「戦略」を成功させる人物であるとしている。

ところがこの「戦略」そのものがクセものであり、
彼は戦略そのものを「レーシングカー」
というハードウエアにたとえていて、
戦略を成功させるというのは
レースに勝利することと一緒だとしている。

レーシングカーにはさまざまなパーツがあり、
これを使ってレースに勝つには、
それぞれのパーツを組み合わせた総合力がものを言う。

戦争における「戦略」もこれと同じであり、
さまざまな強さの要素が集まって、
総合力が発揮された時に
初めて勝利できる、というのだ。

この「パーツ」の具体例として、例えば、
「エネルギー」や「情熱」といった要素を当てはめて考えてみると
これは車でいうところの「エンジン」に相当するのではないだろうか。

その論でゆくと、エンジンの馬力だけが強くても、
レースに勝てないことは明らかである。

F1レースなどに詳しい方ならば、容易にご理解頂けるはずだが、
エンジンのみが如何に強力であろうと、
車体のバランスや、ブレーキ、タイヤのチョイスなど、
レーシングカーにはまさに「総合力」が必要なのである。

さらに、「アメ通」読者の皆さんにならば、
「情報」や「インテリジェンス」を例にあげることも可能だ。

これは、先のレースの例に沿うと
「データ」、または個々の人間に当てはめると
「知識」と言ってもよいだろう。

これは私が言うまでもないことだが、
データを豊富持っているからといって、
必ずしもレースに勝てるとは限らない。

データはあくまでもデータである。
これを上手く使いこなせなければ意味がないのだ。

ではレースに勝つために一番重要なのは何だろうか?
それは、「ハンドルを握っている」ドライバー自身である。

膨大な「データ」の中から、
そのプライオリティはどこにあるのか?
どの要素が重要なのか?

これを適正に「判断」するのは、
レーシングカーを操るドライバーに他ならない。

データ自体は、判断の材料でしかないのである。

そして、これをクラウゼヴィッツ流に解釈すれば、
如何に強靭な軍隊を保持していようとも、
それを動かすリーダーの「決断」こそが
生死の境を決める決定的な要因になってしまうということだ。

ここまで考察を深めてみると、行き着くところは、
一人一人が「決断力」、つまり、
「正しく判断する方法」を身につけなければならない
ということになる。

              -*- -*- -*-

一般に、いわゆる「学問」と呼ばれるものは、
人間の「知りたい」という欲求を満たすものであるが、
究極的には、自分たちが「正しい判断をする」ためのツールである。

ある社会の中で、われわれ(の国家や組織)が
如何に正しい判断をしていけばいいのかを学ぶ・・・
それが「学問」の本来の姿であるように思う。

皆さんも「自分がいかに正しい判断するか」
ということのヒントを得るために、この「アメ通」にて、
決して簡単ではないお話にお付き合い頂いているのではないか、
と私は密かに想っている。

最近の原発事故に纏わる諸々で、我々が目の当たりにしたように、
いかに「専門家」であっても、「正しい判断」ができるとは限らない。

さらに言ってしまえば、「正しい判断」をもたらすのは、
なにも「学問」で得られる知識だけではないのだ。

それでは、我々は「学問」以外に、
どのようにして「判断力」という貴重なスキルを
身につければよいのだろうか?

私は先週号で示した「思考の抽象度を上げる」ということが、
まずその第一であると考えているが、もちろん他にもいくつかあるはずだ。

今回も話が長くなってしまった。
続きは、次週のメルマガで更に論じてゆきたいと思うが、
ここで断言できるのは、今後増々「カオス」化する世界で、
「リアリスト」としてサバイバルしてゆくには、
「正しい判断力」を身につけることこそが致命的に重要なのである。

(おくやま)

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さて、早速ですが、・ネオコンをはじめとする勢力が狙ってきた米国の世界一極覇権支配は、長くは続かない。・中国が膨張し、アジアの覇権をねらい、世界は多極構造になる。 90年代から上記のように予想し、米国内でも論争してきたのがリアリスト学派です。

リアリスト学派は、国家のパワー(軍事力、政治力、人口規模、経済力等)がもっとも大事な要素と考え、

正義やイデオロギー、理念は関係ない。国際関係はパワーで決まり、パワーを予測し戦略を立てよう

と考える学派で、19世紀の英国の行ったバランス・オブ・パワーを活用した大戦略を信条とします。

ところが「リアリスト」を自認する日本の親米保守派は、
「経済中心主義」で「安保無料(だだ)乗り」をし続けていますが、
実は、彼らは、以下の2点で決定的、かつ、致命的な誤りを犯していたのです。
そして、そうした日本の政策は、冷酷な米国のリアリストから、
単なる「バンドワゴニング」に過ぎない、と足元を見透かされているのです。

その2点とは、

(1)日本はアングロサクソン(米英)についていれば大丈夫。

(2)米国は「民主制度」と「法治」、「人権」を重んずる日本を信頼し、
   一党独裁の共産主義中国を嫌っている。

ということです。

まず、(1)については、
日英同盟時も上手くいった。だから、これからも米国についてゆけば大丈夫!
万事問題ないというものです。

しかし、我が日本が戦後60年間、幸いにして戦争に巻き込まれなかったのは、
ほとんど偶然の産物であったということは、強く認識しておく必要があります。

米国は国益に係わることならば、いとも簡単に「友達」を切り捨て、裏切る国である。
国論が変われば友好国をあっさり切り捨ててきたことは、これまでの歴史の事実が証明しています。

・日中戦争では、蒋介石を応援しつつも、途中から毛沢東支援にまわった。

・ソ連打倒のためには台湾(中華民国)を切り捨て、中華人民共和国と国交を結んだ。

・ベトナム戦争では出口がみえなくなり、結局南ベトナム支援からあっさり撤退した。

・米国が支援していた南ベトナムは崩壊し、大量の難民があふれ出た。

・イラン・イラク戦争の時、イランが戦争に勝って影響力が拡大することを恐れた米国は、
 サダムフセインに(イラク)に軍事的な支援をした。
 しかし、支援した米国は干渉してこないと思ったフセインは、その後クウェートに侵攻し、
 湾岸戦争、イラク侵攻と2度の戦争で米国に打ちのめされ、最後は米軍に捕まり処刑された。

如何でしょうか?

これでもまだあなたは、アメリカはずっと「友達」でいてくれる!

と思えますか?

次に、(2)についてですが、
欧米メディアなどの報道によれば、米国内における中国の工作員の数は激増しています。
更には、人民解放軍には「政治工作条例」なるものまであります。
彼らは世論戦、心理戦、法律戦からなる「三戦」の任務を与えられ、
まさに今、中国は国策として、米国内で「世論戦」を仕掛けている、というのが冷酷な事実です。

正義や真実でなく、ウソでも現実をつくれると考える中国の
カネも人員もかけたまさに「人海戦術」的な、この国家戦略が功を奏し、
すでに米国世論では「尖閣は日本が強奪した島だ」ということに傾き始めている・・・
この危険な状況を皆さんはご存知でしょうか?

-*- -*-

例えば、韓国との従軍慰安婦問題をみるまでもなく、
日本国内で、いわゆる「保守派」といわれる人達が、
どれだけ「真実」を主張しても、
同じ日本人であるはずの国内左翼勢力がこの外患に呼応するという、
典型的なパターンに陥っている事例は、枚挙に暇がありません。

白州次郎は「日本をプリンシプルのない国」と言いました。
しかし、残念ながら、この分析は現在の日本にも今だに当てはまっているのです。

これらの冷酷な事実を踏まえ、
本サイトで皆さんとともに真剣に考えていきたいのは、以下の2点です。

・日本はいかにして「パワー」を獲得すればいいのか?

・どんな国家像を描き、グランド・ストラテジーを立てればよいのか?

この二つの質問を念頭に据えて、米国のリアリスト思考を学び、
日本におけるリアリスト思考を広げ、リアリスト学派をつくっていく。

これが、このサイト、www.realist.jpの目的です。
あなたも是非議論に加わって下さい。



リアリスト思考を最初に日本にもたらした、
シカゴ学派、元フーバー研究所上席研究員、故・片岡鉄哉先生に捧ぐ

日本がこのままの状態でいけば、
少なくとも十年以内に、二流、三流の地位まで確実に堕ちていくことになる。
現在の日本の状況を冷静に見れば、
どう考えてもそういう結論しか出てこないのだ。
しかし、日本はそのまま堕ちっぱなしというわけではない。

何年後になるかわからないが、日本はしぶとく復活するはずである。
国家というのはいつまでも堕ちっぱなしということはなく、
反省して自覚した国民が生まれ、それが国を復興することになるからである。

そのときに、決定的に必要となつてくるのが「理想」である。

地政学の祖であるマッキンダーは、
「人類を導くことができるのは、ただ理想の持つ魅力だけだ」
と言っている。

しかし彼は、同時に現実を冷静に見る目を
忘れてはならないことを鋭く警告している。
それが地理と歴史を冷静に分析した、
地政学という学問が与えてくれる視点なのである。
彼が一九一九年に発表した『デモクラシーの理想と現実』
という本の題名は、このような理想と現実のバランスの大切さを訴えている。

世界はこれから「カオス化」していく。
これはつまり、世界はこれからますます複雑化した
先の見えない場になるということである。

そして日本は、「カオス化」された状況の中で
自立を目指さなければならないし、
むしろ自立せざるを得ない状況に追い込まれることになるかもしれない。
そして、その中で世界に伍していくためには、
日本人は何よりもまず、リアリズムの思考法を身につけなければならない。

日本人は自分で責任を持って戦略を考えるという思考を捨ててしまい、
安易に平和的な解決だけを求めるという体質が染みついてしまった。
たとえば、外交における戦略も「善か悪か」で判断するため、
善を探そうとするあまり、次の一手がどうしても遅くなる。

しかも、日本が「善かれ」と思って世界に主張したことは、
まずもって善として見られていない。
他国はリアリズムの視点で「日本が何を狙っているのか」
と冷酷に見ているのだ。
だからこそ、わが国も外交戦略を「善悪」ではなく、
「強弱」で見るように訓練しなければならない。
「強弱」とは、現在わが国にとって、
この政策は他国と比べて立場を強めてくれるのか
弱めるものかという冷静な判断である。

弱いのであれば、より強い政策を打ち出さなければならないし、
強いものであれば、政策をより国益に近づけなければならない。
こうしたリアリズムの思考を身につけることは、
むしろ「国際的なマナー」なのである。