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地政学を英国で学んだ
しばらくお待ち下さい。
2013年02月06日 碩学・渡部昇一先生の累積戦略

共同管理人の和田です。

みなさんは渡部昇一氏をご存知でしょうか?

上智大学名誉教授で、
日本の保守言論を引っ張ってきた気概ある学者です。

南京大虐殺はなかった論争、部落解放同盟からの攻撃、
悪意のある朝日新聞との教科書問題論争、
税制における日本の共産主義化批判など
国外からの攻撃に便乗する左翼を何度も戦い、叩き潰し、
まさに日本悪玉史観、日本人残虐史観を払拭すべく、
日本保守の屋台骨として八面六臂の活躍をしてきました。

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そのエピソードの一つを紹介します。

ロッキード事件の田中角栄裁判では、
立花隆氏と日本の司法界全体を敵に回して、
大論争までやっています。
専門外にも関わらず、日本の司法の問題を指摘しました。

英文学が専門である渡部先生の主張は、

「角栄裁判は反対尋問をさせていないので、
裁判として成り立っていない」

というものです。

"角栄憎し"の陣営と法曹界は、
渡部先生からの公開質問状にも返答できず、
最後は敵前逃亡してしまいました。
そして、角栄氏の去世により、決着が着かず、
結果的には最高裁のメンツは保たれました。

ですが、あの裁判は反対尋問をさせない公開リンチであり、
日本国は、今だに法治国家になりきれない
未開の部族社会であることが図らずも露呈したのです。
これでは、外国からも警戒されてしまい、
まさに"司法の危機"だったのですが、
この状態は、現在に至っても何も改善していません。

大きく取り上げられることはありませんが、
実は、米軍が日本で問題起こしても日本で裁判ができません。
不平等条約、治外法権の影には、三権分立できていない
日本の裁判制度にも問題があると渡部先生は指摘しています。

渡部先生曰く、

「あなたはシナで裁判にかけられたいですか?
絶対イヤですよね。
しかし、日本でもそれと同じ事やってしまったのです。

あの東京裁判でさえもできた反対尋問を、
角栄裁判ではさせなかったんですから。

こんな裁判は、すべての日本人の人生に関わる問題なのです。」

今でも渡部先生は、NHKの夜8時から公開討論をやってもいい
とおっしゃっています。

まぁ、当時の裁判長も立花隆さんも出てはこないでしょうが・・・

あの当時、専門家は"業界の常識"に凝り固まっていて、
専門家として本来為すべきことが出来ませんでした。
その点を、知的に誠実な"門外漢"である
渡部先生だからこそ、裁判のおかしな点に気付き、
そして、恐れず怯まず指摘出来た戦いだったと言えます。

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渡部先生の業績は他にもたくさんあるのですが、
ここで、どうして私がこのエピソードを紹介したかったのというと、

なぜ渡部昇一先生は孤軍奮闘の中、
論争自体には勝利し、完全決着とまではゆかずとも、
敗北することがなかったのか?

このチョークポイントを皆さんに伝えたかったからです。
とりあえず以下の3つを紹介します。

(1)知識を誠実に積み上げ、
 自らの「信念」を確立した。

(2)知的生活を重んずるという、
 学者としての姿勢を断固として貫いた。

(3)経済的独立・自立を怠らなかった。

という点が見られます。

渡部先生は"知識人として生きる"という「世界観」を
少年時代に持ち、本に囲まれた知的生活を確立してきました。

まさに、古今東西の多数の書籍に基づく圧倒的な知識の積み上げ。
それが議論のベースとなる証拠(エビデンス)の数となり、
また、数々の解釈の基盤ともなり、単なる知識ではなく、
「信念」として確率した結果、論戦不敗となりました。

いくら知識があっても、周りから批判されるとビビって筆を折る学者や、
自らの主張を変節し、左翼に転向した学者が多かったことを考えると
渡部先生のその知的誠実さと信念の強さは別格です。

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渡部先生は、学者として、無駄な会合などは、
極力を避けておきたいようです。

渡部先生の盟友に故・谷沢永一先生がいました。
渡部先生との対談時に谷沢氏先生は

「蝶(長)になりたい、蝶(長)になりたいというサナギのような学者ばかりだ」

とおっしゃっていました。

会合ばかりにでて、人間関係で学長、委員長など
「長」がつく職を目指すばかりで、研究を積まず、
10年も論文を書いていない学者が多い・・・と、
谷沢先生は嘆いていました。

渡部先生も谷沢先生も、できるだけ不要な会に出席することを避け、
知的生活を重視し、敢えて"孤独に篭って"いたようです。
お二人の偉大な業績が証明しているように、
多くの学会に出席することが、必ずしもいいことではないのです。

そして更に重要なことがあります。

渡部先生は学生時代から、左翼の歴史学者や政治学者らと
必要以上に交流することがなく、その言説などに影響されませんでした。
書籍に書いてあることに知的に忠実であったため、
世に流布していた邪説に囚われず、自らの「支柱」を確立できたのです。

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渡部先生の代表的著書として、
そのものズバリの「知的生活の方法」という大ベストセラーがあります。
渡部先生は、自らの知的生活から生まれる知識を
著作としてアウトプットして、これまでに出版された著作は、
既に数百冊に及びます。

先生が在籍していた上智大学からの給与相当額が、
毎年、年収に対する税金の支払いとなってしまうほどだったそうです。

渡部先生は書籍を所有し保持する環境をつくることが必要だと判断し、

まさに図書館のような知的空間を備えた、
"要塞"かと思うような自宅を都内に二回も建てています。

私自身が、かつて金融機関に勤務していたのでわかるのですが、
外資系でもない限り、国内の銀行の役員クラスでも
渡部先生ほどの資産を築くことはできないだろうと思っています。
「学者は貧乏」という、一般的概念を覆すライフスタイルに圧倒されます。

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ここまで紹介してきた、
渡部先生が「世界観」を構築してきた「戦略」こそ、
これまで奥山先生が提唱してきた
「個人が行う累積戦略」だったのです。

この「累積戦略」のことをとても印象的に紹介した
『Quiet(クワイエット)』という著書が、
昨年、米国で大ベストセラーとなりました。

・議論やブレインストーミングではたいした功績が上げられない。
・風通しのよい、オープンオフィスでは効率が下がる。
・人との交流が苦手な人である方が実は有利である。
・ハーバード・ビジネススクール式は間違いであった。

など、大変示唆に富む内容になっています。

この話題の書『Quiet(クワイエット)』と「累積戦略」を結びつけて
奥山先生が徹底解説をしたCDを企画しました。

渡部昇一先生の人生の成功の極意も、
まさに「このクワイエット(累積戦略)にあった」
と言っても過言ではありません。

奥山さんや、渡部先生のような学者だけでなく、
誰もが知る現代のカリスマたちも実はクワイエットだったのです。

Facebook創業者、マーク・ザッカーバーグ、
Appleのスティーブ・ジョブス、スティーヴ・ウォズニアックら
多くがクレイジーたるために"クワイエット"を累積させてきています。

これからの厳しい時代を行き抜くために、また、それだけでなく、
「本物」になるために、個人の「コア」が必要になります。

その手法に興味がありましたら、ぜひこちらをご覧下さい!

http://www.realist.jp/cumseq.html

( 共同管理人 和田 )

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戦略を語れない人生は奴隷だ

技術を制するのは高度な技術ではない。より上流階層からルール決めには対抗できない。
今こそ日本人は「戦略の階層」を学び、その全体像を理解しなければならない。

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このサイトはリアリズムについて学ぶ人を増やすためのサイトです。

さて、早速ですが、・ネオコンをはじめとする勢力が狙ってきた米国の世界一極覇権支配は、長くは続かない。・中国が膨張し、アジアの覇権をねらい、世界は多極構造になる。 90年代から上記のように予想し、米国内でも論争してきたのがリアリスト学派です。

リアリスト学派は、国家のパワー(軍事力、政治力、人口規模、経済力等)がもっとも大事な要素と考え、

正義やイデオロギー、理念は関係ない。国際関係はパワーで決まり、パワーを予測し戦略を立てよう

と考える学派で、19世紀の英国の行ったバランス・オブ・パワーを活用した大戦略を信条とします。

ところが「リアリスト」を自認する日本の親米保守派は、
「経済中心主義」で「安保無料(だだ)乗り」をし続けていますが、
実は、彼らは、以下の2点で決定的、かつ、致命的な誤りを犯していたのです。
そして、そうした日本の政策は、冷酷な米国のリアリストから、
単なる「バンドワゴニング」に過ぎない、と足元を見透かされているのです。

その2点とは、

(1)日本はアングロサクソン(米英)についていれば大丈夫。

(2)米国は「民主制度」と「法治」、「人権」を重んずる日本を信頼し、
   一党独裁の共産主義中国を嫌っている。

ということです。

まず、(1)については、
日英同盟時も上手くいった。だから、これからも米国についてゆけば大丈夫!
万事問題ないというものです。

しかし、我が日本が戦後60年間、幸いにして戦争に巻き込まれなかったのは、
ほとんど偶然の産物であったということは、強く認識しておく必要があります。

米国は国益に係わることならば、いとも簡単に「友達」を切り捨て、裏切る国である。
国論が変われば友好国をあっさり切り捨ててきたことは、これまでの歴史の事実が証明しています。

・日中戦争では、蒋介石を応援しつつも、途中から毛沢東支援にまわった。

・ソ連打倒のためには台湾(中華民国)を切り捨て、中華人民共和国と国交を結んだ。

・ベトナム戦争では出口がみえなくなり、結局南ベトナム支援からあっさり撤退した。

・米国が支援していた南ベトナムは崩壊し、大量の難民があふれ出た。

・イラン・イラク戦争の時、イランが戦争に勝って影響力が拡大することを恐れた米国は、
 サダムフセインに(イラク)に軍事的な支援をした。
 しかし、支援した米国は干渉してこないと思ったフセインは、その後クウェートに侵攻し、
 湾岸戦争、イラク侵攻と2度の戦争で米国に打ちのめされ、最後は米軍に捕まり処刑された。

如何でしょうか?

これでもまだあなたは、アメリカはずっと「友達」でいてくれる!

と思えますか?

次に、(2)についてですが、
欧米メディアなどの報道によれば、米国内における中国の工作員の数は激増しています。
更には、人民解放軍には「政治工作条例」なるものまであります。
彼らは世論戦、心理戦、法律戦からなる「三戦」の任務を与えられ、
まさに今、中国は国策として、米国内で「世論戦」を仕掛けている、というのが冷酷な事実です。

正義や真実でなく、ウソでも現実をつくれると考える中国の
カネも人員もかけたまさに「人海戦術」的な、この国家戦略が功を奏し、
すでに米国世論では「尖閣は日本が強奪した島だ」ということに傾き始めている・・・
この危険な状況を皆さんはご存知でしょうか?

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例えば、韓国との従軍慰安婦問題をみるまでもなく、
日本国内で、いわゆる「保守派」といわれる人達が、
どれだけ「真実」を主張しても、
同じ日本人であるはずの国内左翼勢力がこの外患に呼応するという、
典型的なパターンに陥っている事例は、枚挙に暇がありません。

白州次郎は「日本をプリンシプルのない国」と言いました。
しかし、残念ながら、この分析は現在の日本にも今だに当てはまっているのです。

これらの冷酷な事実を踏まえ、
本サイトで皆さんとともに真剣に考えていきたいのは、以下の2点です。

・日本はいかにして「パワー」を獲得すればいいのか?

・どんな国家像を描き、グランド・ストラテジーを立てればよいのか?

この二つの質問を念頭に据えて、米国のリアリスト思考を学び、
日本におけるリアリスト思考を広げ、リアリスト学派をつくっていく。

これが、このサイト、www.realist.jpの目的です。
あなたも是非議論に加わって下さい。



リアリスト思考を最初に日本にもたらした、
シカゴ学派、元フーバー研究所上席研究員、故・片岡鉄哉先生に捧ぐ

日本がこのままの状態でいけば、
少なくとも十年以内に、二流、三流の地位まで確実に堕ちていくことになる。
現在の日本の状況を冷静に見れば、
どう考えてもそういう結論しか出てこないのだ。
しかし、日本はそのまま堕ちっぱなしというわけではない。

何年後になるかわからないが、日本はしぶとく復活するはずである。
国家というのはいつまでも堕ちっぱなしということはなく、
反省して自覚した国民が生まれ、それが国を復興することになるからである。

そのときに、決定的に必要となつてくるのが「理想」である。

地政学の祖であるマッキンダーは、
「人類を導くことができるのは、ただ理想の持つ魅力だけだ」
と言っている。

しかし彼は、同時に現実を冷静に見る目を
忘れてはならないことを鋭く警告している。
それが地理と歴史を冷静に分析した、
地政学という学問が与えてくれる視点なのである。
彼が一九一九年に発表した『デモクラシーの理想と現実』
という本の題名は、このような理想と現実のバランスの大切さを訴えている。

世界はこれから「カオス化」していく。
これはつまり、世界はこれからますます複雑化した
先の見えない場になるということである。

そして日本は、「カオス化」された状況の中で
自立を目指さなければならないし、
むしろ自立せざるを得ない状況に追い込まれることになるかもしれない。
そして、その中で世界に伍していくためには、
日本人は何よりもまず、リアリズムの思考法を身につけなければならない。

日本人は自分で責任を持って戦略を考えるという思考を捨ててしまい、
安易に平和的な解決だけを求めるという体質が染みついてしまった。
たとえば、外交における戦略も「善か悪か」で判断するため、
善を探そうとするあまり、次の一手がどうしても遅くなる。

しかも、日本が「善かれ」と思って世界に主張したことは、
まずもって善として見られていない。
他国はリアリズムの視点で「日本が何を狙っているのか」
と冷酷に見ているのだ。
だからこそ、わが国も外交戦略を「善悪」ではなく、
「強弱」で見るように訓練しなければならない。
「強弱」とは、現在わが国にとって、
この政策は他国と比べて立場を強めてくれるのか
弱めるものかという冷静な判断である。

弱いのであれば、より強い政策を打ち出さなければならないし、
強いものであれば、政策をより国益に近づけなければならない。
こうしたリアリズムの思考を身につけることは、
むしろ「国際的なマナー」なのである。